註:このページは旧サイト「子づれ散歩旅の絵本」(2004年にいったん閉鎖)のものです。現在は「さんぽのしっぽ」の一部として組み込まれています。アーカイヴを目的に復活させたため、その後のアップデートはおこなっておりません。当時のサイトURLは現在は有効ではなく、一部にリンク切れもあります。どうかご了承ください。
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散歩旅のもくじ




2002年以前の日誌へ
 
2003年
 

 November 21, 2003
 トップページとこの更新日誌のページにあった若干の不備を修正した。
 わが家の新しいクルマ──といっても、だいぶ低年式の中古車だが──の登録が今日完了したとの連絡をディーラーから受けた。
 「戦争終結後」のバグダッドでは「占領軍」たる米軍への攻撃が続く。累積死者数が「戦時」を上回ってから久しい。
イスタンブールでは英領事館への「自爆テロ」。多数の死者のなかには領事も含まれているという。ブッシュは昨日からロンドンへ。なんでこんなときにブッシュが来んのよ! とロンドンへ留学中の友人からメールが届いた。
 明日から寒波襲来の予報。

 November 20, 2003
 「バカンスはいつも雨」の7章をアップ。長々とかかってしまったが、ようやく完結した。
  オークションに出品されたステッピーの引き取られ先が決まった。北海道の釧路である。なんとまあ、かつて20代を北海道通いで過ごしたわれわれにとって奇遇ともいうべき展開となったことか。これから北の大地で第二の人生を迎えるステッピーは、きっと道東の大自然のなかをのびのびと走り回る日々を送ることになるだろう。島牧でいまも元気に余生を送るRVRくんと、道内のどこかで行き会うことがあるかもしれない。

 November 7, 2003
 「バカンスはいつも雨」の6章をアップ。あと1章で完結である。
  2002年4月以来われわれの足となり旅の栖となってくれていたステッピーとは、きょうでお別れだ。わずか1年半しか乗ってやれなかったことになる。気に入ったものを長くつかうというのが、われわれの流儀だ。さまざまな事情を勘案したうえでの決断とはいえ、とても寂しい。軽快で気持ちよく、竹を割ったようなさっぱりした気性のいいクルマだった。昨晩は《みの》とふたりで初めて駐車場でステッピーに泊まった。明け方目を覚ましたら、あたりは一面霧に包まれていた。これから、引き取りに来てくれるキャリアカーまでステッピーを運転していく。

 September 23, 2003
 9月21-23日に高峰高原を歩いてきた。月曜をはさんだ飛び石連休だったが、土曜日のが小学校の運動会だっため、月曜が代休となったのだった。台風一過の晴天に恵まれた山歩きとなった。この件をトップページの近況欄に追加した。

 September 21, 2003
 「バカンスはいつも雨」の5章をアップした。あわせて、以前に作成してあったルートマップもアップした。

 September 20, 2003
 トップページに、近況欄を新設した。
 今日は《みの》の小学校の運動会。台風15号が接近中だが、午前中だけなんとか雨降りにならずにすんだ。運動会の代休は月曜になる。この日仕事を休めば、飛び石の中日を埋められて連休にできる。そう考えて、今晩から新潟県の粟島へ出かけようと目論んでいたのだが、どうやらこの計画は無理そうである。台風は東日本方面をめざしているらしい。明後日22日早朝にはやってくるという。

 September 5, 2003
 「バカンスはいつも雨」の4章をアップ。あと残り3章だ。
 またしても9月になった。9月になると竹内まりやの「セプテンバー」がおもいだされる(と去年も書いていた)。今朝はきれいに晴れた。空の色はくっきりと濃く、早くも秋模様だった。

 August 30, 2003
 「バカンスはいつも雨」の3章をアップ。車中泊の写真は、じつは東北ではなく、沼津で車中泊したときのもの。説明的だから、こちらを使用した。

 August 22, 2003
 トップページを更新。左上に最新の更新ページを載せているが、その下には気発表のものを適宜入れ替えながら紹介していくことにした。
 「バカンスはいつも雨」のルート図も完成。近々アップする。あとは、ステップワゴンで車中泊するときの態勢の図解が残っている。だが、適切な写真がなく、苦慮している。クルマのなかの説明写真は意外に撮りにくいのだ。

 August 19, 2003
 まる4か月ぶりの更新。あまり安請け合いはするべきではないと反省。
  今年の夏は黒姫への研究合宿はしごと名古屋への帰省で終わった。梅雨明け宣言はでたものの8月に入ってからも気温はあがらず、ほとんどクーラーなしで寝ている。日中は心なしか肌寒いほどだ。1993年以来の冷夏だといい、とくに北東北では梅雨明けが明瞭でなく、異常低温がつづいているという。10年前には秋に米不足となって大騒ぎとなり、政府はあわててタイ米を輸入し、巷にはタイ米のおいしい食べ方などという記事が氾濫した。それ以来の冷害の年になるだろう。
 この5月に修論をもとに本をだした。内容もテーマも本サイトとはまるで無関係であるが、記録とささやかな宣伝告知を兼ねて記しておく。『出版と知のメディア論──エディターシップの歴史と再生』(みすず書房)。さして多くの販売部数があるわけではないが、それなりに反応をいただいている。読売には書評、朝日ではインタビュー、毎日は本紙ではないが「週刊エコノミスト」にやはりインタビューを載せていただいた。お読みくださったり、関心をもってくださった方々に深く感謝したい。

 April 15, 2003 
 先だって、Apple純正ブラウザSafari(ベータ2がでたばかり)で、旅日記ページの罫線がセンターにそろわないと述べた。これを回避するためには、各罫線ごとにいちいちセンターそろえの指定をしてやればよいことがわかった。面倒だが仕方がない。その作業を少しずつ始めている。これを機会にデザインの微修正も行うことにしよう。

 April 13, 2003 
  2年前に泊めていただいた壱岐の温泉宿「平山旅館」からリニューアル・オープンのお知らせが届いた。これをトップページにアップした。

 April 12, 2003
 今週から多摩美の授業が始まる。「情報デザイン演習」という授業の非常勤講師だ。2月に長崎で行った「あっというま名刺パンフレット」というメディア実践プロジェクトを、まず最初の課題とする。

  予想外にというべきか、あっというまにバグダッドが陥落し、「イラク戦争」はアメリカの「勝利」に終わろうとしている。アニメの登場人物のように見るからにキャラがたっていたサハフ情報相をはじめとするフセイン政権の主要人物たちは忽然と姿を消した。「21世紀最初の戦争」(ほんとうは違う)とは、いったいなんだったのだろうか?


 April 4, 2003
 
リンク集のうち、時限がすぎて無意味化したコメントを削除した。

  この4月から、《みの》のかよう学童保育所の運営主体が社会福祉法人──《みの》が卒園し、いま《なな》と《くんくん》がかよう保育園──に移管された。これまでは父母が運営するかたちをとってきた。わたしは、《みの》が入学したときに、わけのわからないまま役員にさせられてきたのだが、その負担たるや大変なものであった。毎月の役員会や父母会、市中の学童の連絡会への参加、各種行事の準備などなど……。これに割かれる時間と気力は相当なものであり、ただでさえ仕事と学業・研究の二足のわらじで満杯のわたしのスケジュール帳にだめ押し的圧力をかかけてくるのだった。むろん、わが子が世話になっているのだから相応の負担をするのはやぶさかではないが、負担は公平にとはいかず、けっきょく特定のひとに集中してしまうのが実情のようだった。いろいろな考え方があるだろうが、わたしにかんしていえば、これ以上親の負担が増えるのは勘弁してほしいというのが正直な気持ちであったから、今回の制度変更によって、少し気が楽になった。

 March 29, 2003
 
この「更新情報・制作日誌」を、2003年のものと、それ以前のものとにファイルを分割した。

  イラク戦争の影響で、アメリカの航空会社が軒並み経営不振に陥っている。世界最大のアメリカン航空が経営破綻寸前だという。数日前にはハワイアン航空が破綻した。ノースウエストやコンチネンタルは減便とリストラ。ユナイテッドはイラク戦争前にすでに破綻して更生手続き中だ。数年前にはマイレージが流行りだしたころには華やかに見えた各社だが、経営的には薄氷の上をそろそろと歩いているようなものだったのだ。欧州へ2往復できるほど残っているわたしの獲得マイレージが事実上無効になる日も近いだろう。一方、イスタンブール発アンカラ行きのトルコ航空便がハイジャックされた。機はギリシアに着陸したものの乗客は解放されていないという。世界はあっというまに暗転し、気楽な旅など許されなくなってしまったかのようだ。いや、そうではない。世界はつねに、このようなものとしてあったのだ。そしてつねに、それでも旅にでる者はいるだろう。


 March 28, 2003
 
IE for Mac OSXを遅まきながらver. 5.2.2にアップした。これにともなって、トップページの動作確認表示を変更した。

 春休みに入った《みの》は、毎日朝からお弁当持参で学童保育所へでかけている。きょうは近所の大学のキャンパスへ遠征し、ツバキの花や貝殻やらを拾って帰ってきた。うちに帰ると、なにやら紙を切ったり貼ったりして工作にはげんでいる。《なな》と《くんくん》はあいかわらず保育園通いだ。きょうは、先に《あ》にお迎えにいってもらい、そのあと三人で学童まで《みの》を迎えに行ってご機嫌だったそうだ。

 イラク戦争──というのが、いつのまにか正式呼称になったのだろうか──はバグダッドの南方で一時膠着状態のようだ。国防総省は10万人の増派を発表した。以前からの予定どおりだとテレビでラムズフェルドは話していたが、兵力逐次投入は最悪の戦術であることは誰でも知っている。見通しが甘かったのだろう。一方、9.11以後やたらに存在感を示しているアルジャジーラの英語版サイトがサイバーテロにあったと報道されていた(もともと同サイトはわたしのIEやSafariではうまく表示されない)。アルジャジーラは、昨日か一昨日にニューヨーク証券市場の取材資格を取り消されたという報道もあった。米軍の「大本営発表」を相対化するような報道姿勢への対抗措置なのだろうか。今朝の朝日新聞朝刊「ひと」欄には、記者の自由な取材活動を支援する「国境なき記者団」の事務局長が紹介されていた。


 March 24, 2003
 
Apple純正のウェブブラウザSafariは、まだver.1.0bというベータ版である。数日前に遅まきながらOSXのバージョンを10.2.4にアップしたついでに、Appleのサイトからダウンロードして試しにつかってみた(英語版しかない)。すると、驚いた。画期的に高速なのである。そのすばらしさは、いままでのIEがなんだったのかと言いたくなるほどだ。しかし、じゃあすぐさま全面的に乗り換えよう、というわけにはいかない。なぜなら、Safariはまだベータ版ゆえか、表示が崩れるページが少なくないのだ。わたしにとって最悪なのは、わがサイトのレイアウトがこの例外ではないことだ。トップページはいいのだが、各エッセイに飛ぶと、横罫線だけが左寄せになってしまう。ページ全体をセンターそろえに指定しているつもりなのだが、罫線ごとにいちいち指定のコマンドを書かねばならないのだろうか。Appleはバグリポートを受け付けているが、英語のみだという。そんなややこしいことを書けるほどの英語能力も気力ももちあわせていない。なんとかしてほしいものである。

 March 23, 2003
 
新しい子づれ散歩旅フォト・エッセイ「バカンスはいつも雨──東北キャンプで散歩旅」の第1章をアップした。久しぶりの新作である。ロゴをつくり、写真をスキャンして、テキストを書き、レイアウトする。アップできるまでにかかる作業量は、これがけっこう手間がかかる。じぶんで決めたこととて、自業自得なのではあるが、ある程度まとまった時間がないとおもうように作業できないのがつらいところだ。

  Macromedia Studio MXのDreamweaver MX ver.6.1でサイトの同期がうまく行かない現象があった。けっきょく設定の問題だったのだが、冊子マニュアルは付属しておらず、電子マニュアルはさっぱり要領を得ない。旧いiMacに残っていた設定を確認していって、ようやく事情が判明した。

 おまけに、 あれこれいじっているうちに、無線LANのAirMacベースステーションが不調になり、リセットしなおして復旧した。いろんな問題がモグラ叩きのようにつぎつぎと発生して、とても対応しきれない。やれやれ、である。


 昨日「南部制圧」「バスラ制圧」といっていた米英軍は、今日になってまだイラク軍の抵抗にあっていることを明かした。テレビにでてくるコメンテータたち──あの江畑“スカッド・ヘア”謙介氏も「健在」──のうち、NHKの柳澤さんという解説委員だけは、こうした(米英側・イラク側にかかわらず)公式発表はいずれも戦争を有利に運びたいという軍部や政権の思惑の影響下にあるものだから、額面どおりうけとってはならないと再三忠告している。


 March 20, 2003
 
アメリカがイラクへの攻撃を開始した。また戦争である。先日友人が、生まれて初めて反戦デモに行ってしまったといっていた。さて、本日Macromedia Studio MXを購入した。昨年初夏よりPowerBookG4にMacOSXを中心にしてきたのだが、これでようやくWeb作成もOSX環境に移行できる。更新ももっとマメにできるだろう(たぶん)。といっているまに、日付が変わった。

 
→更新情報・制作日誌 2000-2002

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