検問所——チェルノブイリを見にゆく 4

チェルノブイリを見にゆく話その4。前回その3はこちら。

出発——チェルノブイリを見にゆく 3
チェルノブイリを見にゆく話その3。前回その2はこちら。出発する。定刻は0800だったが、おそらく30分近く遅い出発となった。そのあたりは柔軟というか適当というか、まあそういうもののようだ。ミニバスはフォード製。日本......

手続きがすんだようだ。ふたたびミニバスに乗り込む。

笛状のものをわたされた。常時携行せよとのこと。大きさは呼び笛くらい

ちいさな笛のようなものを渡された。迷子になったときに捜索者に居場所をしらせるためのものらしいが、よくわからない。とにかく、つねに首から提げて、からだから離さないようにということだった。

それよりも前、キエフをでるときに、もうひとつ手渡されていたものがあった。ガイガーカウンターである。

ガイガーカウンター。これも常時携行せよとのこと

いちおうオプション扱いで別料金だが、実際には携行を義務づけられている。ただし各人ではないようで、NとRの二人組はふたりで一台が支給されていた。これも常時携行する。カラビナがついていたので、ズボンのベルトに取り付けた。ガンマ線を計測する簡易的な装置なのだが、どの程度きちんと校正されているのかは不明。数値は目安くらいに考えておいたほうがよさそうだ。

キエフからここまでの道中、車内ではチェルノブイリ事故にかんするドキュメンタリー映像が流された。運転席の背後の天井近くに液晶ディスプレイが設置されているのだ。ただ垂れ流すのではなく、見学する場所の予習的な意味あいがある。ナレーションなどはウクライナ語やロシア語ではなく、すべて英語だった。そもそも英語ツアーであるからなのかもしれないのだが。

車内で流されるチェルノブイリ事故の記録映像

映像は何本かあった。まずチェルノブイリの事故の経緯をまとめたものが流され、つぎには、4号炉を覆う石棺の劣化に対応するべく、その外側に設置された金属シェルターの建設記録が流された。

検問所のゲート。奥が管理区域

さて、検問所のゲートがあいた。そこを抜ける。とおもったら、すぐに停まった。またなにかのチェックがあるらしい。しばらくそのまま停車したあと、ミニバスはようやく走りだした。

立ち入り禁止区域内に入ったからといって、まわりの風景が急に変わるわけではない。見るかぎり、平原があり、森があり、道路がある。舗装状態も、これまでと同じ。一般的な日本の道路よりは悪いが、かといってひどく劣悪というほどでもない。少なくとも、穴ぼこだらけの春先のミシガンよりはマシだ。

管理区域に入る。路面状況はまずまず

道路はわりにちゃんと整備されているのは、車輌や人員の出入りがそれなりの規模であるためだろう。信じがたいことだが、チェルノブイリ原発は、事故後も2000年ごろまでは残りの原子炉は稼働していたそうだし、その後も、事故をおこした4号炉への対応や、その他の原子炉の廃炉作業もあるのだろう。

その5へつづく。

チェルノブイリ村——チェルノブイリを見にゆく 5
チェルノブイリを見にゆく話その5。前回その4はこちら。管理区域内をしばらく走ると、碑のようなものがあり、別のツアーバスの客たちが見学していた。チェルノブイリ村の入口だという。チェルノブイリ村の入口の碑。日帰りツアー......
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