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散歩旅のもくじ


メキシコ──1999/09-10
 
1──カンクンは嵐だった
2──桟橋の蝙蝠傘
3──イスラ・ムヘーレス上陸
4──おぼれかけた島で

     

1カンクンは嵐だった

 

   ヒューストン発コンチネンタル航空111便は、予定より1時間ばかり遅れてカンクン空港に着陸した。到着を告げる機内放送は、天候不良のため延着したことを詫びたあと、「みなさまが、カンクンでのすてきな週末をおすごしになられますように」と締めくくられた。アテンダントは「カ」と「ク」にアクセントをおいて、「カーンクーン」と、からりと明るく晴れやかに発音した。その声の調子とは裏腹に、上空には黒雲がたちこめ、すでに雨が降りはじめていた。
 メキシコの入国審査はあっけないほど簡単だった。到着ロビーにでると、IDカードをつけたひとたちが大勢いた。空港職員かとおもったら、口々にあまりうまくない日本語や英語で、両替をしないか、ホテルは決まっているか、タクシーかシャトルバスか、と迫ってくるのだった。
 そのなかのひとりに、コンチのカウンターの場所を訊ねた。帰りの便のリコンファームをしたかったからだ。相手はそれにすぐに返事をせず、一瞬間をおいたのち、どこから来た? と訊いてきた。日本だ、とわたしは答えた。相手は、『赤ずきん』の挿し絵にでてくる悪いオオカミみたいに、ニヤリと舌なめずりをし、リコンファームはサービスでしてあげるから、ホテルを紹介するよ、という意味のことをいいはじめた。わたしはリコンファームはあとで電話ですることに決め、その場から逃げだした。
   

 天井の低い陰気なターミナルビルのなかを歩きまわり、ようやくカンクンの港、プエルト・フアレスまで行く乗り合いバスのカウンターをみつけた。
 カウンターの係員に、おとな2人と子ども1人、それに赤ん坊、と告げた。24ドルだというので、20ドル札と5ドル札をわたした。若い男の係員は、2枚の紙幣を引き出しにしまうと、そしらぬそぶりで、つぎのお客に声をかけようとした。わたしが「お釣りはどうした?」と質すと、係員は「いま返すところだったんだよ」と言い訳しながら、もう一度引き出しをあけて、1ドル札をとりだした [*]。

[*] ここでやりとりしたのは米ドルである。町ではメキシコ・ペソ (N$) が一般的だが、観光客の多い店や施設では米ドルも通用した。当時のレートは、コミッションを含めて$1=N$9.2くらい。
 ところで、空港から市街への交通は、3人 (+1) もいたのだからタクシーのほうが安かったかもしれない。 どこの空港でもそうだが、一般に、空港からダウンタウンへ行くほうが、その逆より高いものである。ちなみに帰途は、プエルト・フアレスで客待ちしていたタクシーをつかまえ、簡単に交渉したところ、空港までチップを含めてN$150、つまり米ドルに換算して$16強で行ってくれた。

[**] イスラ (isla) とはスペイン語で島の意味。潟をかかえる砂嘴で、ちょうど天橋立みたいなものだとおもってもらえばよい。その形は、LPメキシコ編によれば、この島は幸運の数字「7」そっくりなのだという。以前は小さな漁村があったこの地が、現在のようなアメリカの観光植民地になったのは1970年代以降だそうだ。
 

 バスというより、むしろ大きめのワゴンとよぶほうが適当だった。8人ばかりの相客はみな白人の老人で、アメリカ本土からの観光客のようだった。空港をあとにしたワゴンは、イスラ・カンクン [**] に建ち並ぶ豪奢なリゾートホテルを順繰りにまわって老人たちを降ろしていった。さいごには、ワゴンに残った乗客はわれわれ4人だけになった。白人観光客でにぎわうイスラ・カンクンを抜けてダウンタウンに入ると、とたんに町並みが一変した。二階建ての、ねずみ色の四角いコンクリート造りの店が軒を連ね、道を歩いているのは、浅黒い肌のひとたちばかりになった。  町はずれに、すこし大きめの建物があった。ワゴンはそのまえで停まった。そこが、プエルト・フアレスだった。われわれがわたろうとしている小さな島、イスラ・ムヘーレスが、波頭のむこうにうっすらと灰色に横たわっていた。
 ワゴンのドアがひらくと、わたしのメガネがたちまち曇った。外はそうとう湿度が高いのだ。ベルボーイというわけでもないだろうに、そこにいたおじさんたちがやってきて、頼みもしないのに、あれよあれよというまに、3wayバッグを桟橋まで運んでいった。仕方がないので1ドルずつあげたら、ちょっとびっくりしたような顔をされた。  

 


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