1 ──荷づくりは苦手
「荷物はできるだけ小さく軽く」。旅を指南する常套句のひとつだ。
ま、それはそのとおりである。身軽に旅をするに、こしたことはない。けれども、荷物を小さくするにはあるていどのコツと経験、そして少しばかりの思い切りが必要である。そもそも、なぜ荷物が増えてしまうかといえば、旅先でのあれこれを先まわりして考えてしまうからだ。子づれ旅なら、なおさらであろう。
荷づくりなど、大の苦手である。長いあいだ、荷物をコンパクトにまとめねばという思いにかられながらも、現実にしてきたのは、その正反対のことばかりだ。
初めてバイクで北海道へツーリングにでかけたときには、250ccのバイクに小山のように積みあげたバッグが、しょっちゅう荷崩れをおこして、何度も死にそうになった。しかも、もっていった荷物のほとんどは、40日間一度もつかわれることがなかった。
その後、クルマで北海道へ旅するのを常習とするようになった。旅先で確実につかう道具類はいうにおよばず、まずつかう見込みのないもの──たとえばアマチュア無線機、パソコン、プリンタ──までも積み込んだ、ほとんど動く別宅というべき状態のクルマででかけたものだった。なぜそんなものまでもっていったかというと、旅先でなにが起きても、なにがしたくなっても対応できるように、などという莫迦なことを想定したからだったのだが、もちろん、そのほとんどは一度もつかわれることがなかった。
荷物はできるだけ軽く、という旅の鉄則に直面することになるのは、だから海外へでかけるようになってからである。最初のうちは、ご多分に漏れず、小さなスーツケースをもっていった。妻の《あ》と二人で荷物はそれ一個だったから、一般的なレベルからすれば、まずまずコンパクトといえるかもしれない。とはいえ、そこには、読みもしない本とか、着もしない上着とか、履きもしない靴だとかいった、まったく不要なものが大量に含まれていた。帰路につくころにはスーツケースは、急速に肥満した中年サラリーマンのズボンのように、一度開けたら二度と閉められないほど、ふくれあがるのだった。
事態が深刻化するのは、子どもが生まれてからである。長男《みの》が1歳になる直前に、沖縄の八重山諸島へ行った。親はそれぞれ60リットルと40リットルの登山用ザックを背負い、子どもは軽量ベビーカーに乗せた。食事があわないといけないとおもい、瓶詰めの離乳食を持参した。テーブルの天板にはさんでもちいる、子ども用の携帯椅子までもっていった。夜逃げのような大荷物だった。もちろんこのときも、荷物のほとんどは、つかわれる機会がなく、ただわれわれの疲労と腰痛を倍加させる役割だけは十ニ分にはたしたのだった。
とはいえ、山のような大荷物とともにする旅も、それはそれで愉しいものである。
四方田犬彦氏によれば、『シェルタリング・スカイ』を書いたポール・ボウルズは、若いころ、旅だちにあたって、白い麻のスーツ20着を仕立て、何十というトランクに、着替えやら旅先で読む本やらを詰め込み、なおかつ行く先々で信じがたい量のお土産を買い込んだという(『旅の王様』マガジンハウス、1999年)。亡くなった須賀敦子によれば、彼女の父は戦前、姉妹がすっぽり入ってしまうほど巨大なトランク(スーツケースにあらず)を携えて、ヨーロッパを旅したのだという(『ユルスナールの靴』河出書房新社、1996年)。
いずれも船の時代の話だ。いまや飛行機が大衆化し、われわれ「一般庶民」ですら休暇旅行に海外へでかけることができる。そのとき、何十というトランクを抱えて、B747のエコノミークラスに乗り込むわけにもいくまい。だいいち、それでは法外な荷物料を請求されてしまうことになる。
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