註:このページは旧サイト「子づれ散歩旅の絵本」(2004年にいったん閉鎖)のものです。現在は「さんぽのしっぽ」の一部として組み込まれています。アーカイヴを目的に復活させたため、その後のアップデートはおこなっておりません。当時のサイトURLは現在は有効ではなく、一部にリンク切れもあります。どうかご了承ください。
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散歩旅のもくじ

 
     
 写真は、Wat Ong Teu Mahawihan (Vientiane, Laos). このあとお坊さんたちは "Bonjour!" と挨拶して通りすぎていった。
 

 旅のスタイルは千差万別。それでいい。

 でも、個人的にいえば、にぎやかな旅、豪奢な旅にはさして魅力は感じない。かといって、一日10ドルの極貧旅行をする気もない。旅はたしかに非日常性をもつだろうけれど、それをむやみに強調するのは好まない。日常と非日常を区別してみたところで、ひとりの人間にとって経験されるべき時間であることに変わりはない。旅は淡々とするのがいい。

 旅のエッセイのたぐいは山のように出版されている。インターネットでも旅日記は定番中の定番だ(本サイトもまたしかり)。そこでは、旅のスタイルと同様に、旅の文体にもまた多種多様の様態が存在している。「旅かくあるべし」論を主張する哲学派や、誰も行ったことのない(というイメージの強い)場所へ好んで足を向ける秘境アドベンチャー派、こまごました段取りを懇切丁寧に説くハウトゥー派、あるいは、高級ホテルに泊まってブランド品を買いあさる憂さ晴らし散財派などなど……。

 わたしが好きな旅の文体は、川本三郎さんのそれだ。一冊あげるなら、『日本すみずみ紀行』(教養文庫、世界思想社、1997年)だろう。格別のアドベンチャーもなければ、ドラマらしいドラマもない。東京歩きでも各駅停車の温泉めぐりでも、ぶらりと旅して、気に入った場所で立ち止まり、ときにビールを飲む。そんな旅を綴る文体もまた、淡々としたものだ。流麗な形容句も、面妖な語彙も用いない。よくつかい込まれた言葉を選び、たしかな手つきで組みたてられた短い文章を、ひとつひとつ積み重ねていく。

 わたしもそのような旅を好む。だが、ひとり旅が基本の川本さんと違って、こちらは子づれである。必然的ににぎやかしく、騒々しい。ただあちこち出かけて散歩しているだけなのだが、それでも、なかなか淡々とはいかない。したがって、本サイトの文体もまた、それ相応に浮き足だつ。かくして、「淡々」の境地をめざすわたしの目論見はやすやすと裏切られていく。

 旅の文体は、旅のスタイルを映す鏡である。

     

 

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