「ネイチャーイン島牧YH」は、およそ50kmもの海岸線をもつ島牧村のほぼ中央に位置している。道の駅「よってけ!島牧」の、グラウンドをはさんで西隣といえばわかりやすいだろう。
ここ島牧は、わたしにとって特別の場所である。初めてここを訪れたのは、21歳のときだったから、二昔近くまえになる。「ココペリ」の《べーす》夫妻とここでヘルパーをしたのは、その翌年の夏のことだ。以来くり返しここを訪れている。多い年は、春、夏、秋、冬と季節ごとに4度来たこともある。1993年の夏、北海道南西沖地震によって発生した津波によって全壊したが、その後自力で新しい建物を再建した。詳しくは別に書くつもりだから、ここでは立ち入らない。
今回、島牧には2泊する。かつては1週間も2週間も滞在したことがあるが、近年はそうもいかなくなってしまった。春の訪れが早く、例年のゴールデンウィークごろのような風景である。夕食には、近くの山へわざわざ採りに行ってくれたというギョウジャニンニクの初物の天ぷらがでた。
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島牧に来るときはいつでもそうだが、たいした目的があるわけではない。ただ、ぼーっと海と山をながめる。ただし今回は、ひとつだけ目的があった。《みの》が「おさら」をつくりたい、というのだ。
島牧YHの主人《ガンゼ》さんは、陶芸家でもある。手があいているときは、宿泊者にも焼き物づくりをさせてくれる。わたしもずっと以前、一度ろくろをまわしてコーヒーカップをつくったことがあった。《ガンゼ》さんにだいぶ手伝ってもらったが、かなりいびつなカップになった。《みの》は、それをじぶんでやりたい、というのだ。
もちろん、ろくろはむずかしい。今回は「おさら」である。これなら、土をこねて平らにすればいいから、小学校の粘土遊びのノリでできるはずだ。《みの》は、《ガンゼ》さんに教えてもらいながら、あっというまにひとつつくり、もう一枚つくりたいといって、また土をだしてもらった。
お皿だから、不定形でもかまわないし、三角形でもかまわない。じっさい、《みの》がつくったのは、そんなような形の皿だった。まんまるのもつくる、といって、丸皿をつくった。皿のまんなかに絵を描くよう《ガンゼ》さんに促された《みの》は、しばらく考えた末、なにやら間抜けな顔の絵を描いた。「おとうさん」と笑った。
《なな》は、案の定「ぼくも、おさら、つくる」と言いだした。丸棒をもって土をまず平らにする作業をしたのだが、そこから先は「おとうさん、やって」といって、もっぱら「監督」に専念することになった。やはり丸皿に絵を描くことになったので、ヒヨコの絵を描いてやった。
こうして成形した「おさら」は、十分に乾かしたあと、釉薬をかけて、後日まとめて焼かれる。
翌朝、たっぷりたべてしっかり遊んだ子どもたちを乗せたCR-Vは、島牧から千歳空港までの約200kmを一気に走った。ほぼ3時間の行程だ。午後の飛行機に乗り、夕方には自宅に帰り着いていた。
旅を終えてからも、《みの》は時折おもいだしたように「おさら、まだかなあ」といった。「おさら」が送られてきたのは、4月末だった。
宅配便の箱をあけた《みの》と《なな》は、よろこびいさんで、古新聞にくるまれた「おさら」をとりだすのだった。絵つきの丸皿は、それぞれの朝食用のパン皿になった。毎朝、かれらはこのパン皿にトーストやらバターロールやらをのせてもらい、ご満悦である
●──4日目の走行距離 2km
●──5日目の走行距離 200km
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