ロープウェイは往復で大人1070円、子ども540円、3歳以下は無料。子どもの日のサービスとして、《なな》だけキーホルダーをもらった。
乗り込むまえに、係員が記念撮影をしてくれた。これもサービスかとおもったら、あとで貼りだしてあって、一枚1000円で販売しているのだった。この手の商売にはしばしば遭遇する。NASAが運営しているスペースセンター・ヒューストンでもコンピュータ仕掛けながら同様の写真販売をやっていた。「やれやれ」とおもいながらも、買ってしまう。
1965年にできたという年代物のロープウェイが山頂駅に到着した。ここから5分で女体山の山頂に立つことができる。石がごろごろした山頂には、こぼれ落ちんばかりにおおぜいの登山者が立っていた。立ち止まって景色をながめるのもままならない。お社に向かって、二礼、二拍手、一礼。《みの》は「なに? どういうこと?」といいながら、同じように手を合わせた。
尾根道をだらだらと歩いて、男体山(860m)山頂をめざす。登山道はものすごい人出で、年末の上野アメ横みたいである。登山の基本的なマナーもなにもあったものではない。革靴やハイヒールのひとが──噂には聞いていたけれど──ほんとに歩いている。めちゃくちゃな速さでまえを歩くひとたちを追い抜いていったかとおもうと、その先で汗だくになってバテているひとがいる。反対側からひとが来ても、なかなか道を譲ろうとしない。途中のガマ石では、十数人のグループが、大人も子どもも全員で小石を投げていた。登山道をすっかりふさいでいることにも気づかずに。
30分ほど歩くと、鞍部にでた。ここには、筑波山神社方面からのケーブルカーの駅がある。土産物屋がたちならんでいた。なかに廃業した店舗が3-4あったのが目についた。多くの登山者たちが、あちこちに腰をおろして、お弁当をたべていた。唐揚げにスパゲティという献立のグループが、なぜか複数あった。EPIでお湯をわかしてカップ麺をたべているグループもあった。われわれも、さっきコンビニで買ってきたパンをたべる。
ここから15分ほど一気に登り、男体山山頂に着いた。小学2年生になる《みの》は、さすがにわたしからほとんど遅れることなく、ついてきた。心なしか、顔が引き締まっている。
男体山山頂には電波塔がたち、やはりお社があった。眺望はあまりきかない。ヘリコプターやセスナが、山体をかすめるように飛んでいった。5分ほど待つと、《なな》と《あ》が到着した。3歳の《なな》は、何度か転びながらも、めげることなく元気に歩いてきたそうだ。歩きながら、「おやま、おやま、おやまー」とか、口からでまかせの歌をうたっていたという。《なな》と《みの》がそろうと、ふたりは登頂記念にポケットから飴をとりだして、舐めはじめた。
ふたたび同じ道を戻る。背中の背負子でずっとご機嫌にして、ときどき「ひゃ」とか「うけ」とか「き」と声を発していた《くんくん》は、揺られているうちに気持ちよくなったのだろう、まもなく眠ってしまったようだ。「ようだ」などと、保護者としてはいささか無責任な言い方をするのは、背負っている者にはよくようすがわからないためである。《みの》と二人で先にロープウェイ駅に到着し、《なな》と《あ》を待っていると、年配の女性が「あら、ベルトが赤ちゃんの鼻に」といって、《くんくん》の肩を留めているベルトの位置を直してくれた。《くんくん》は、コブタのように鼻をひしゃげさせながら、ベルトに顔を押しあてて眠っていたに違いない。
20分ほどならんで待って、ロープウェイで、つつじヶ丘へ下りた。ロープウェイから見下ろすと、平地では田という田に水が張られ、それ自体が広大な湖のように見えた。
「登山」といっても、往復ロープウェイ利用のままごとみたいなものだったが、《みの》も《なな》も達成感に満ちた顔をしていた。《みの》に「どうだった?」と訊ねると、かれは真剣な面もちで答えた。「おもったより、たいへんだった」
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