わが家に三人目の子ども《くんくん》が生まれたのは、2001年の盛夏のことだった。
出産のために《あ》は《なな》をつれて里帰りしていた。千葉に残っていたわたしは、小学校が夏休みになった最初の日に、《みの》と二人で東名高速道を西へ向かうことにした。首都高はうんざりするほどの大渋滞で、高樹町から2時間かかってもまだ用賀にたどり着けないようなありさまだった。
予想外だったのは、エアコンがまったく機能しないことだ。ガスが抜けていたらしい。《みの》とわたしは、鉄釜に入れられたタコやカニのように、車内で汗をだらだら流しながら、まっ赤になって押しだまったまま、渋滞を堪えるほかなかった。富士川SAのスタンドでガスを補給したあとは、一転して送風口から冷風が吹き出るようになった。二人とも生き返った心地がしたものである。
しかし二日後にはエアコンは元どおり、ただ温風を吐きだすばかりとなった。たんなるガス抜けではなかった。エアコン自体が壊れていたのだ。やむなく帰省先のディーラーにもっていった。8万円も払ってコンプレッサーを交換してもらったが、治ったのは一時的にすぎず、また二日たつと元の状態に戻った。「修理」したディーラーに問いただすと、しらばっくれて、さらに別途費用がかかるようことを言う。さすがに頭にきた。「こちらはエアコンを直してくれといったんだ。コンプレッサーを換えてくれと頼んだ覚えはない。そちらの原因特定が不十分だったんじゃないか」。どなり込んだのち、地元のディーラーで再度修理してもらい、ようやく完治した。二度と三菱ではクルマを買うまい、とおもった。
誤解のないようにいっておけば、RVRというクルマの問題ではない。あくまでもわたしの当たったディーラーの問題である。
RVRはいまでも気に入っている。エアコン以外は調子もいい。一目見て気に入って購入を決めた。11年前のことだ。車台番号は600番代だから、RVRのなかでもごく初期のものだった。
このRVRは、わたしにとって初めての新車だった。それまで乗っていた中古のスプリンターやターセルは、どちらも友人から譲ってもらったもので、傍目にも相当くたびれていた。それでも十分愉しかったが、それとは比べものにならない。何度北海道へ行ったことか。
しかし11年目にして、いよいよ買い替えの時期が到来した。理由はエアコンではない。乗車定員である。《くんくん》が生まれて5人家族となった。RVRは定員4名なのだ。
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