註:このページは旧サイト「子づれ散歩旅の絵本」(2004年にいったん閉鎖)のものです。現在は「さんぽのしっぽ」の一部として組み込まれています。アーカイヴを目的に復活させたため、その後のアップデートはおこなっておりません。当時のサイトURLは現在は有効ではなく、一部にリンク切れもあります。どうかご了承ください。
さんぽのしっぽホーム ▼子づれ散歩旅・旧サイトアーカイヴのトップ
あややぎ・こむ top
散歩旅のもくじ
マウイのハセガワさん
マウイ島──2000/09
1  2  3  4

 ハナを離れる日、ガソリンスタンドで給油した。アメリカではセルフサービスが一般的だから、じぶんで給油口にノズルを射し込んで、満タンになるのを待てばいい。支払いをするために店に入った。店番をしていた黒人の女の子にクレジット・カードをわたすと、彼女はそれをしげしげとながめ、それから顔をあげた。「あんた、ハセガワっていうの?」。そうだよ、と答えると、「あそこの親戚?」と100mばかり先にある緑色の建物を指さした。走りはじめたトーラスの後部座席では、チャイルドシートに窮屈そうに収まった《みの》が、「ハセガワへ行きたーい」とせがんでいた。
 ハナから70マイルほど走って、南マウイへやって来た。ハナが湖の底のようにしっとりと湿潤な土地なら、ここはカラハリ砂漠のようにカラカラに乾燥した土地だ。年間降雨量はわずかに13ミリ。つまり雨はほとんど降らない。30年前までは、ほんとに砂漠のようだったという。いまはわりあいリーズナブルなコンドミニアムが立ち並び、整備の行き届いた庭には緑の木々が茂っているが、これは複雑な灌漑施設の賜物である。北マウイの多雨地域からの水を引いてくることで成り立つ町なのだ。ベランダの花台には黒い灌水用のビニールホースが敷かれているし、朝夕になると町のあちこちでスプリンクラーが水をまき散らしはじめる。
 われわれの泊まっているコンドのレセプションを担当していたのは、日系人のおじさんだった。3日目にキッチンのディスポーザーが故障した。プールの横にあるレセプションまで歩いていき、おじさんにそのことを伝えた。わかりました、といって管理会社に電話をかけ、「ミスター・ハセガワの部屋のディスポーザーが動かないそうです」と事情を説明してくれた。電話を切ったおじさんは、わたしのほうを向いて「だいじょうぶ。30分くらいで、修理に来てくれるそうです」といった。それから、「ハセガワって、あの有名なマウイのハセガワのいとこか何かなのかい?」と笑った。なかば冗談、なかば本気といったようすだった。
 一般論でいえば、英語圏のひとにとって、ハセガワという姓は、めずらしいだけでなく、母音が連続していて発音しにくい単語の部類に入るだろう。けれども、ことマウイでは、こちらがハセガワであるというだけで、やたらに声をかけられるのである。
 帰国して、留守中の新聞をひらいた。トシマサ・ハセガワさんの死亡記事が載っていた(朝日新聞、2000年9月21日夕刊)。ハセガワ・ジェネラルストアの創始者のひとりだということは、ハナでもらったパンフレットで知っていた。14日に90歳で亡くなったという。その日われわれは、ハナの町を散歩した。もちろん、会ったこともないトシマサさんが入院されていることなど知るよしもなかった。午後から陽が差してきたので、町から南へ5マイルのところにあるHamoa Beachにでかけた。夜には満月が昇った。月光に照らされて、ハナ湾が青白く輝いていた。




もどる 散歩旅のもくじ
あややぎ・こむ top