註:このページは旧サイト「子づれ散歩旅の絵本」(2004年にいったん閉鎖)のものです。現在は「さんぽのしっぽ」の一部として組み込まれています。アーカイヴを目的に復活させたため、その後のアップデートはおこなっておりません。当時のサイトURLは現在は有効ではなく、一部にリンク切れもあります。どうかご了承ください。
さんぽのしっぽホーム ▼子づれ散歩旅・旧サイトアーカイヴのトップ
Top
散歩旅のもくじ


メキシコ──1999/09-10
 
1──カンクンは嵐だった
2──桟橋の蝙蝠傘
3──イスラ・ムヘーレス上陸
4──おぼれかけた島で

     

2桟橋の蝙蝠傘

 

 

 桟橋には係員がひとりいるきりだった。イスラ・ムヘーレス行きの切符を買おうとした。係員はいった。ここでは切符販売はしていない、連絡船はしばらく来ないから、そこで待っていろ。桟橋の付け根の部分だけ、なぜだか簡単なトンネルみたいな覆いがあり、雨をしのぐことができる。いわれるまま、そこにバッグをおいて、船の到着を待つことにした。
 桟橋の横に繋留してある半分沈みかかった木製ボートが、波のうねりにあわせて大きく揺れていた。風がいっそう強くなった。ときおり、巨大な扇風機がまわりはじめたみたいに、強烈な風が海をわたって吹きよせてきた。風には雨粒がまじっていた。われわれはそれを正面からうける恰好になり、服もバッグもたちまち濡れてしまった。

 

海から雨まじりの風が吹きつけてきた。服も荷物も、たちまちぐっしょりと濡れてしまった。  

連絡船、とよぶのがためらわれるほど、船は小さい。この写真は、帰路にイスラ・ムヘーレスの港で写したもの。厳密にいえば別の船だが、どれもだいたい似たようなものである。
 

 気がつくと、船を待つ乗客の列は20人ほどにもなっていた。すぐうしろにならんでいたのは、《みの》とおなじ年頃のきれいに着飾った女の子をつれたヒスパニック系の夫婦だった。オリヴァー・ハーディそっくりのまるまるとした風体の旦那さんは、もっていた折り畳みの黒い蝙蝠傘をわたしのまえにつきだし、これを子どもたちの雨よけにしなさい、と手真似した。

 連絡船がやってきた。プレジャーボートがひとまわり大きくなったくらいのサイズだ。どやどやと旅行者を吐きだすと、替わりにわれわれが乗り込むのだった。昔の病院の待合室にあったようなビニール貼りのベンチシートに腰をかけた。シートはすっかり乗客でふさがった。島へ運ぶ物資の入っている段ボール箱が、ドカドカといくつも船室へ積み込まれた。その上に、遅れて乗船してきた白人バックパッカーのカップルが坐り込んだ。若い女性の係員が乗客をひとりずつまわって、てきぱきと料金を徴収していった。小さな連絡船は桟橋を離れた。

 

連絡船のキャビン。《みの》の目線の先には、14インチのテレビが据えてあって、「ドナルド・ダック」を放映中。《なな》はエンジン音と揺れにおびえ、母親にへばりついている。  
[*] この場には直接関係ないことだが、中南米では、ディズニーはとりわけ強い文化的影響力をもってきたという。その一端を垣間見たような気がした。詳しくはA.ドルフマン、A.マトゥラール『ドナルド・ダックを読む』(山崎カヲル訳、晶文社、1984年)を参照。とはいえ、この本が書かれたときから20年がたち、いまや状況はもっとドラスティックに変わっているような気もする。  

 おもった以上に横揺れが激しかった。エンジンの振動が、お腹に直接伝わってくる。《なな》は《あ》にへばりついて、顔をうずめていた。《みの》が船酔いするのではないかと気にかかったのだが、杞憂だった。かれは、船室の壁にとりつけてあるテレビが映していたディズニーのアニメ番組に夢中だったのだ [*]。《みの》がドナルド・ダックのドタバタを笑いながらみているうちに、激しく揺れる船はイスラ・ムヘーレスの桟橋へ到着した。

 


もどる

つぎへ