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メキシコ──1999/09-10 |
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2桟橋の蝙蝠傘
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桟橋には係員がひとりいるきりだった。イスラ・ムヘーレス行きの切符を買おうとした。係員はいった。ここでは切符販売はしていない、連絡船はしばらく来ないから、そこで待っていろ。桟橋の付け根の部分だけ、なぜだか簡単なトンネルみたいな覆いがあり、雨をしのぐことができる。いわれるまま、そこにバッグをおいて、船の到着を待つことにした。
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海から雨まじりの風が吹きつけてきた。服も荷物も、たちまちぐっしょりと濡れてしまった。 |
連絡船、とよぶのがためらわれるほど、船は小さい。この写真は、帰路にイスラ・ムヘーレスの港で写したもの。厳密にいえば別の船だが、どれもだいたい似たようなものである。 |
気がつくと、船を待つ乗客の列は20人ほどにもなっていた。すぐうしろにならんでいたのは、《みの》とおなじ年頃のきれいに着飾った女の子をつれたヒスパニック系の夫婦だった。オリヴァー・ハーディそっくりのまるまるとした風体の旦那さんは、もっていた折り畳みの黒い蝙蝠傘をわたしのまえにつきだし、これを子どもたちの雨よけにしなさい、と手真似した。 連絡船がやってきた。プレジャーボートがひとまわり大きくなったくらいのサイズだ。どやどやと旅行者を吐きだすと、替わりにわれわれが乗り込むのだった。昔の病院の待合室にあったようなビニール貼りのベンチシートに腰をかけた。シートはすっかり乗客でふさがった。島へ運ぶ物資の入っている段ボール箱が、ドカドカといくつも船室へ積み込まれた。その上に、遅れて乗船してきた白人バックパッカーのカップルが坐り込んだ。若い女性の係員が乗客をひとりずつまわって、てきぱきと料金を徴収していった。小さな連絡船は桟橋を離れた。
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連絡船のキャビン。《みの》の目線の先には、14インチのテレビが据えてあって、「ドナルド・ダック」を放映中。《なな》はエンジン音と揺れにおびえ、母親にへばりついている。 |
[*] この場には直接関係ないことだが、中南米では、ディズニーはとりわけ強い文化的影響力をもってきたという。その一端を垣間見たような気がした。詳しくはA.ドルフマン、A.マトゥラール『ドナルド・ダックを読む』(山崎カヲル訳、晶文社、1984年)を参照。とはいえ、この本が書かれたときから20年がたち、いまや状況はもっとドラスティックに変わっているような気もする。 |
おもった以上に横揺れが激しかった。エンジンの振動が、お腹に直接伝わってくる。《なな》は《あ》にへばりついて、顔をうずめていた。《みの》が船酔いするのではないかと気にかかったのだが、杞憂だった。かれは、船室の壁にとりつけてあるテレビが映していたディズニーのアニメ番組に夢中だったのだ [*]。《みの》がドナルド・ダックのドタバタを笑いながらみているうちに、激しく揺れる船はイスラ・ムヘーレスの桟橋へ到着した。 |
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