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散歩旅のもくじ


黄金崎不老ふ死温泉──2001/01
 
1──鉄道好き
2──「こまち」から五能線まで
3──黄金崎不老ふ死温泉
4──雪だるまをつくる

     

2「こまち」から
   五能線まで

 

   上野駅地下の新幹線ホームへ降りていくと、大雪のため福島−新庄間「つばさ」運休との放送が入った。さいわい「こまち」は動いているようだ。だが早朝の、しかも下り方向のせいだろう、ホームに人影はすくなかった。巨大なアヒルのような車両が入線してきた。「しんがたのまっくす(新型MAX)だあ!」といって、《みの》と《なな》は両手をあげてよろこんだ。
 「こまち」2号が到着した。乗るのは初めて。網棚から天井へかけてのデザインが古代魚の骨格標本のようである。ちらほらと空席も見受けられる。座席は通路をはさんで2席ずつの配置。《みの》と《あ》がならんで坐り、通路をはさんでわたしが坐った。《なな》は切符がないので、《あ》の膝の上だ [*]。
[*] 新幹線→特急と乗り継ぐため、切符は3人の往復あわせて15枚にもおよんだ。    大宮をすぎると、つぎは仙台まで停まらない。速度をあげると揺れがひどくなりはじめた。ノートをひらいたが、文字など書けたものではない。那須から北はずっと雪。このお正月はずっと冬型の気圧配置がつづき、それがちょうどピークに達しつつあった。
 仙台をでたあとは一気に盛岡へ。盛岡駅では「やまびこ」との連結の切り離しがある。一家していそいそと見物にでかけた。ところが、連結器を解放する音が聞こえただけで、見かけにとくに変化はない。そうか、このまま「こまち」が発車してしまえば、自然に切り離されるという寸法だったのだ。発車のベルを背中で聞きながら、急いで列車に戻った。
 田沢湖線に入ると、雪深さはいっそう増すように感じられた。単線なので、途中で列車交換のため停車する。雪まるけになった上り「こまち」とすれ違った。大曲で進行方向が逆になった。20分ほどで秋田駅に到着した。7分ほど延着したようだった。
 秋田駅ビルで稲庭うどんをたべたあと、在来線の改札へ行く。ところが、このあと乗る予定の「いなほ」1号(新潟発青森行き)は雪と強風のため30分遅れているという。到着を待つあいだ、《みの》と《なな》は駅のコンコースで電車ごっこをして遊んでいた。

   

   


 「いなほ」の遅れは重なり、けっきょく東能代に着いたのは定刻より37分遅れだった。接続する五能線の普通列車は「いなほ」到着を待っていてくれた。普通列車のボックス席に坐ると、《なな》はそのまんなかに仁王立ちになり、怖い声で「ぼくはおうさまだあ。がおう」と言った。
 五能線は秋田県から青森県の西側、白神山地のまわりを日本海に沿って走る単線のローカル線である。八森駅をすぎると、いよいよ日本海が迫ってきた。海も空も山も、鉛色と白の濃淡に染められていた。岩館駅で列車交換をした。白神岳登山口という駅の近くに犬をつれたおじさんがいた。その肩には鉄砲がかけられていた。

 鉄道の旅がいいのは、クルマと違ってじぶんで運転する必要がないことである。食事どきに気軽にビールが飲める。こまる点もある。子づれだと、どうしてもほかのお客さんに気をつかわざるをえない。
  いちばん気づかれするのは、ビジネスマンで一杯の東海道新幹線である。今回のばあい気づかいの度合いは、新幹線「こまち」→特急「いなほ」→五能線普通列車と乗り継いだ順にちいさくなっていった。
  親としては、普通列車が気楽でいちばんいい。いっぽう子どものほうといえば、どうやらどんな列車に乗っても、それなりに愉しんでしまうようだ。帰路の「こまち」では、JRのパンフレット一枚をおもちゃにして、それをながめたり、丸めて望遠鏡のようにしたり、二枚にちぎってまるめて二人でチャンバラをしてみたり、それだけでえんえん2時間以上も遊んでいた。

 

   


 さて、われわれは艫作(へなし)で下車した。ほかに降りた10人ほどは、みなおなじ宿へ行くひとたちだった。マイクロバスに乗って、雪のなかをごろごろと5分も走ったろうか。海へ張り出した段丘の上に、黄金崎不老ふ死温泉はあった。

 


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