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散歩旅のもくじ


マウイ──2000/09
 
1──アイスクリーム
2 ──ハナの南へ
3──キパフルの虹

     

2ハナの南へ

 

   目の前で、二本の棒が、ぎっこんばったんと、仲良くおなじリズムで、立ったり寝たりしていた。バックシートの《みの》が、「それ、おもしろいね」といった。ワイパーなど、家のクルマにだって、もちろんついている。

ハナの南の道端にあったスタンド。切り花を売っていた。雨が降っていた。  
   

 雨のなか、ハナからさらに南へとトーラスを走らせた。ところどころに集落があり、パン焼き窯のような郵便ポストが、道沿いに行儀よくいくつもならんで立っていた。
 オヘオ渓谷という場所があった。またの名をセブン・プールズという。その名のとおり七つの聖なる池とやらがあるところで、池澤夏樹『ハワイイ紀行』には、でっちあげられた伝説の地として紹介されている。ここにはレンジャーの事務所があり、キャンプ場があり、大きな駐車場があって、大勢のひとの姿があった。
 キパフルという、木々に埋もれるようにしてある小さな村をすぎると、民家はほとんどなくなる。海へ直接落ちる滝がある。崖の途中に切りつけるようにして付けられた道を走っていく。ブラックサンド・ビーチというのだろうか、黒い砂のちいさな砂浜のまえに、一本の標識がたっていた。ハナ・ハイウェイはここで終わり、この先はピイラニ・ハイウェイ (Piilani Hwy) となる、と記してあった。

 

ピイラニ・ハイウェイ。道幅は一車線半くらい。海岸の縁を削ってつくられたワイルドな道。ここから南はレンタカー通行不可だが、じっさいにはみな平気で走っている。ここらあたりが、ブラックサンド・ビーチである。  
   

 ここから先はレンタカー通行不可とされている区間ではなかったか。路肩にトーラスを停めてようすをみる。クルマは、あとからあとから、やってくる。どのクルマにも、停止したり、引き返したりする気配はない。片手にビデオカメラをもって、走りながら撮影しているドライバーすらいた。
 われわれもすこしばかり先へ行ってみることにした。ほんとは、こういうことはしてはいけない。事故でもおこしたら、そのあとが大変である。ただ、べつのところでも書いたとおり(「はじっこ散歩記」)、われわれは、はじっこが好きである。行き止まりがあるのなら、そこまで行ってみたい。その気持ちを賢明さよりも優先してしまったことを告白しておこう。

 

落石注意の看板。ピイラニ・ハイウェイにて。  
     しばらく進むと舗装は途切れ、ダートになった。もう雨は降っておらず、雲間から光が射していた。砂埃をまきあげ、さながら調査キャラバンのような雰囲気だった。
 マウイ島の南東海岸は、ちょうどハレアカラ・クレーターからの溶岩流が海に達した場所であり、国立公園の範囲も、大きな舌をのばしたように、このあたりだけ海まで伸びている。おそらく溶岩流によって形成されたとおもわれる、緩やかな台地がそのまま海に没する地形である。
 道から離れて、海辺にぽつんと一軒の建物が風に吹かれていた。"Hui Aloha Church 1890"とささやかな看板が立てられていた。建設当時、このあたりは、一大サトウキビ・プランテーションだったという。
風のなかにたたずむ、Hui Aloha Church。教会の裏手には墓地があるのがみてとれる。こうして110年の歳月をすごしてきたのだろう。  

カウパ・ストア。手前の青いフォルクスワーゲン・バンは、キャンピング仕様だった。
 

 一軒のゼネラル・ストアをみつけた。店は草原のなかに西部劇のセットのようにして建っていた。カウパ・ストアだ。ここはもう、東マウイの南側にかなり入り込んでいる。行き止まりなど、あるような気配はない。ほかのクルマはまだまだ先へと進む。おそらくこのまま南マウイのキヘイ方面へと抜けていくつもりなのだろう。
  時刻はもう1600。われわれは、そろそろ引き返したほうがよさそうだ。

 海のむこうに、島影がみえた。ハワイ島の北端部だ。《みの》に、4年前にはあそこに行ったんだよ、というと、《みの》は「え、ほんと?」といった。むろん、1歳当時のことなど、何も覚えているはずがない。


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