その場にいたわれわれの同行者たちには、けれども、わたしの態度の真意はまったく理解できないようだった。なにか、とてもケチな振る舞いのように受けとっているようだった。同行者とは、知人のおじさん3人組のことである。40代の後半から50代だ。「日本円にすりゃ200円なんだから」的な思考パターンの人たちだから、それはやむをえないのかもしれない。この一件をもって、わたしは、かれらのことを悪く言うつもりは一切ないが、たぶんもう、かれらと一緒に旅をすることはないだろう。
じっさい、ここまでの旅程中ずっと、かれらとは実質的にはほとんど別行動をとってきた。その理由は歩く速度の問題だけではなく、こうした旅する姿勢──わたしのことばで言えば「世界への対し方」──の根本的な相違があったからだ。かれらはいつも、おじさん仲間3人で固まって行動し、行き交う人たちともほとんど会話をしない。というより、会話をする機会が生じるのを意図的に避けている。見たいとおもうものしか見ず、それ以外のものは目に入らないことにする。仲間うちだけで完結しているので、ハッピーこのうえない。
「それでなにがいけない? おれたちは愉しむために来てるんだ」。もちろん、いけなくは、ない。旅には、さまざまなスタイルがあってしかるべきである。ただ、それはわたしのやり方ではない。
鶴見俊輔氏は『旅の話』(晶文社、1993年)という本のなかで、こんなことを言っている。
「経済大国としての日本が世界にたちあらわれてから、日本の国家というカプセルに入ったまま世界をゆく日本人旅行者がふえて、そのことは、明治、大正、昭和も敗戦直後にはなかった海外旅行の定型になった」
現代のわれわれの旅が、その精神において旅というにはあまりにも貧困なものであり、どんなに言を弄してみたところで、ツーリズムの範疇を一歩も抜けだすものではないことは、十分に承知している。それでもわたしは、じぶんでできるかぎり、世界を「ありのまま」にみたいとおもう。ここで言う「ありのまま」とは、もちろん文字どおりの意味ではない。じぶんを成り立たせているもののうち、無意識、無批判に依拠しているもの、仮にそれを良し悪し両面の意味においての「日本的ものの見方」と言うならば、そこからできるかぎり離れたところで世界をみたいということだ。つまり、「日本の国家というカプセル」を(嘘でもいいから)いったん脱いだところから世界をみる、ということ。すくなくとも、そうしようという姿勢をとりつづけたい。だから、これはべつに旅に限った話ではない。できるかぎり「ありのまま」世界をみ、みたものをもとに考える。ただ、それだけのことなのだが、それを行うのは簡単なことではない。
この事件のことは、その後もしばしば思い出す。わたしのとった態度は正しかったのかと自問する。正しかったと言いきることは、率直にいって、できない。いまでもおもう。黙ってお札を取り替えればよかったのかもしれない、と。ババ抜きとおなじで、けっきょくはもっとも弱い立場の人間にツケがまわされるだけのことではないか、と。けっきょく、ただの一人よがりだったのではないか、と。いつかわたしの考えに整理がついたら、また書いてみたいとおもう。[散歩旅:ネパール「ランタン谷トレッキング」編へ
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