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ランタン谷トレッキング
ネパール──1997/04-05
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970423 成田→バンコク

 0600に起き、ザックを背負って家を出た。バス停の前まで来ると、数台のパトカーが止まり、警察の人たちが現場検証をしていた。ひき逃げ事件があったらしい(9908現在、未解決のようだ)。《みの》は昨夕、引き取りに来たわたしの両親に連れられて、名古屋へ行っていた。
 0700松戸駅前発のエアポートリムジンに乗る。途中すこし渋滞し、0850成田着。今回バンコクまではエアインディア(AI)を利用するため、初めて第2ターミナルで降りる。ここは第1ターミナル南ウイングにくらべると新しくてきれいだ。GWにかけて旅行に行く人たちが多いのか、けっこう混んでいる。
 海外旅行保険に入る。《あ》とふたりで「ご夫婦セットプラン」とかいうのにした。一人2万円くらいだったろうか。おもえば無知だったものだ。混んだ両替所で$500と5600Bを両替(95000円、2名で)。出国するにも行列である。われわれの乗るAI305便はC81ゲートからの搭乗だという。ターミナルからサテライトまで、シャトルに乗って行かねばならない。シャトル内も満員だ。1140搭乗開始、1220定刻に出発した。
 AI305はバンコク経由ムンバイ行き。ムンバイとはどこのことかとおもったら、ボンベイだという。B747-300の機内は満員である。われわれは前方の真ん中4人がけのシートに坐っている。前のシートとの間隔もわりあい広く、機内食には味の異なる2種類のカレーが出た。機内誌は"Namaskaar Bafuku Slamp"といった。
 成田から4951kmを7時間で飛び、定刻どおり現地時間1650にバンコクへ着く。摂氏35度。ドンムアン(Don Muang)国際空港のターミナルのなかは空調が利かせてあるにもかかわらず、むっとする熱気に満ちていた。空港で、エアポートタクシーのチケットを買う。市内まで650B(+高速代20B)。高速道路を走っていると、工事途中で放棄されてしまったような、鉄骨の骨組みむき出しの高層建造物が目につく。アジア経済の失速がささやかれていた時期であった。
 雷とともに激しい雨が降りはじめた。ガード下にはバイクの男たちが雨宿りをしている。雨はまもなくあがった。
 高速の出口で渋滞につかまる。話に聞いていたバンコク名物だ。片側3車線の通りをびっちり車が埋めている。その隙間を、二人乗りのバイクが縫うようにして走っていく。むろんノーヘルだ。ピックアップ・トラックも多い。"TOYOTA"とか"DATSUN"とか"NISSAN"と書かれていて、荷台にはたいてい数人の男たちが乗っている。
 1900、ナライ(Narai)ホテルに着いた。空港からの所要時間は1時間15分だった。ホテルにはTさんたちによって日本から予約が入れてあった。なかなか立派なホテルである。部屋には果物とミネラルウォーターが用意してあった。履いていた登山靴をサンダルに替え、町へくり出す。
 Tさんたちが昨年ネパールへ行ったときも、やはりバンコク経由だった。そのとき入ったという、めし屋を探す。すでに空は暮れはじめていた。路上には明かりを点した屋台が出て、そばや焼き物や果物をならべている。乳飲み子を抱えた女性が、空き缶を前にして道ばたに坐り込んでいる。しばらく探したが、店はみつからなかった。仕方なく、目についためし屋に入ってテーブルにつくと、「あ、ここだよ」とTさんが言った。
 店先にこんがり焼けたアヒル(鴨か?)がぶら下がっている。青菜の炒めや、ローストダック、ジンジャーチキンを肴に、シンハ・ビールを飲む。4人で720B。ホテルへ戻る途中、屋台でヌードル1杯(30B)、スイカ1切れ(10B)。あまりお腹が丈夫なほうではないので覚悟していたが、これだけ食べてもこわれなかった。
 じつは、ここにMさんはいない。今朝、成田に集まったとき、Mさんは、うっかり奥さんのパスポートを持参してしまったことに気がついた。やむなく奥さんに電話し、じぶんのパスポートをもってきてもらうことにした。ただ、予定していたAI機には乗れない。チケットを購入したHISに相談すると、1625成田発のJL915便がとれるという。そこでバンコクで合流することになったのだ。ホテルに戻るころには、Mさんも着いているだろう。ところが、2100すぎ、部屋へ帰ってもまだMさんは着いていなかった。かれが到着したのは、その日の深夜であった。じつは、ことはそう簡単ではなかったらしい。正しいパスポートを届けてくれるはずの奥さんがもってきたものは、たしかにMさん名義ではあったのだが、期限切れだった。そこでさらに、留守番をしていた娘さんが、こんどこそ本当に有効なMさんのパスポートを届けに成田までやって来た。Mさんは、けっきょく成田を夕方に発つNWでバンコクへ飛んできたのであった。


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