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散歩旅のもくじ

はじっこ散歩記
北海道、与那国島、波照間島、ハワイ島──1995/07-08, 1996/10
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 1──最北端をめざす

 《みの》の生後10カ月をすぎた6月末日、わたしは前の勤め先を退職した。つぎの勤めがはじまるのは10月からだ。旅好きならだれしもそう考えるように、わたしもまた、そのあいだ旅をしようとおもった。貯えは心細いが、些少とはいえ退職金も出る。妻の《あ》も会社員だが、幸か不幸か育児休業中だ。自宅にいようがどこにいようが、基本的な生活費のかかることには相違ない。では家族みんなで旅をすればいい。学生時代から旅をしていたが、その行く先はおもに北海道だった。だから、海外へ出たのも、沖縄へ足をのばしたのも、子づれである程度の期間旅をしたのも、このときが初めてである。いまふりかえれば、おもいがけないこの3カ月の自由な時間が、わたしのささやかな旅人生のひとつの転機だったといって過言はない。

 7月の中旬、《みの》をつれて新潟からフェリーにのって小樽に入り、北をめざして車を走らせた。《みの》にとっては2度め、《あ》のおなかのなかにいたときから勘定すれば3度めの北海道だ。かれのはじめての北海道は、これに3カ月先立つ4月末のことだった。このときもやはり小樽に早朝上陸した。だっこひもでわたしのおなかにくくりつけられた《みの》は、積丹半島の神威岬を先端までご機嫌で歩いたものだった。
 これを含めて、ここ数年わたしたちの渡道は道南・後志管区にある島牧に滞在することが主目的だったから、それ以外の場所へはあまり足をのばしていない。道北へ行くのなど、何年ぶりだろうか。国道40号線を北へむかえば、やがて宗谷半島の北端に達し、日本海とオホーツク海を分かつ宗谷岬に行き着く。いわゆる北方領土も日本領とするならば、最北端は択捉島ラッキベツ岬であるが、現実問題としてそこへ辿り着くことは尋常の努力ではかなわない。現時点においては宗谷岬をもって日本最北端としても大方に異論はあるまい。

 朱鞠内湖畔の林のなかのオートキャンプ場でお昼にする。ここは人造湖だが、そのわりには不自然な感じがあまりせず、また人影もほとんどない。ドアを開け放した車のなかで、《みの》は昼寝をする。そのあとさらに80kmほど走り、天塩川温泉という公共の宿に泊まる。

 ここから80kmも北へ走れば宗谷岬だ。しかしこの期におよんでわたしは迷っていた。気が進まないのだ。宗谷岬は以前オートバイ・ツーリングの途中に立ち寄ったことがある。岬という確たるものはなにもなく、またこれといった雰囲気もない。ただの国道端という感じ。海成段丘の下端にそってつけられた道路に沿いに土産物屋がならび、スピーカが演歌だか民謡だかをえんえんと流していた。

 ここから針路を東へ転じ、まっすぐオホーツク海へ抜けるほうがはるかに魅力的ではないか。《みの》に最北端を踏ませてやれないが、かれがどうしても来たいのならば、自分でまた来ればいい。予定変更。翌日《みの》は日本最北端を目前にして回頭することになった。かれの達した日本国内における最北地点は、オホーツク海に面した枝幸町の南、北緯44度50分、東経142度35分付近。親とは勝手なものである。




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