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はじっこ散歩記
北海道、与那国島、波照間島、ハワイ島──1995/07-08, 1996/10
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 4──最南端をめざす

 日本最南端に行けないことはわかっていた。そこはおよそ畳2枚分ほどの岩礁にすぎず、しかも明日にも海中に没したまま二度と姿をあらわさなくなるかもしれないという。沖の鳥島という名のその島へ、政府が大船団をくり出し、大騒ぎの末、3カ月間にわたって岩礁の補強工事を敢行したのは1988年から89年にかけてのことだ。

 だから八重山諸島西表島南方に坐する波照間島は、あくまで有人島としての最南端にすぎない。そのことを十分承知のうえ、しかし現実には沖の鳥島へなど行かせてもらえる身分でないのも同じく十分に承知していたので、ここの南端をもって実質的な日本最南端と考える用意があった。

 与那国からいったん石垣島にもどり、高速艇で波照間へむかった。海中に柱が立てられている。航路を示すのだろう。その標識にそって、ものすごい速度で船は走る。エンジン音もすさまじい。《みの》は眉をよせ、《あ》の胸に顔を押しつけた。

 やがて前方に緑の平たい島がみえてきた。エンジン音が低くなった。船体をぐるりとまわして桟橋に横づけした。桟橋といって、ちいさなものだ。漁船らしきものが数隻。新築されたばかりの待合所だけが白々と目立つ。島には民宿が10軒ほどある。お客さんを迎えに来ている。わたしたちはその日、「けだもと荘」という民宿に泊まることにした。ここはおばさんがひとりで切り盛りしていた。昔ながらの赤瓦屋根の民家だ。夕食のとき、おばさんは《みの》にあれこれと話しかけてくれた。夜、寝ているとつぎつぎと蚊が襲来してきた。そういえば、与那国ではあまり蚊に刺されなかったことにおもいいたった。

 翌朝、おばさんにはわるかったが、宿をうつすことにした。「みのる荘」という民宿。島でいちばん古く、いちばん大きな民宿だ。親切な「けだもと荘」のおばさんは、「みのる荘」まで軽四輪で送ってくれた。

 館内に入ると、ヘルパーらしき若い男の子がよく冷えた麦茶を出してくれた。元気がよくて、どこか知人の「べーす」さんを彷彿とさせる。聞けば貸し自転車もあるという。さっそく2台借りる。わたしの自転車のハンドルのまえには、《みの》のために赤ちゃん用の座席をとりつけてもらった。プラスチック製の洗面器を逆さにしたみたいなものだ。

 自転車をこぎはじめる。フクギの並木にふちどられた細い路地をすぎていくと、たちまち集落のはずれに出た。きのう泊まった「けだもと荘」も、じつは距離としてはすぐ近くだったとわかった。その先に灯台があり、さらにすすむと一面サトウキビ畑となった。『沖縄離島情報』の地図をみながら自転車をこぐ。地形をマクロにみれば、集落から海へむかうのはくだることを意味するはずだが、じっさいには意外にアップダウンがおおい。いったんさがりきると島の周回道路へ出た。ここは比較的平坦である。ときどき、島の民宿の名をつけた軽四輪が追い抜いていく。石垣島から来る日帰り観光客を乗せているのだ。
 「最南端」の立て札をみつける。左折するとまたのぼり坂。ペダルをぎしぎしいわせながらのぼりきると、急に視界がひらけた。岩場へ出た。海だ。四阿の横に自転車を停め、1分も歩くと、そこに「日本最南端」を示す木でつくられた看板と、小石をならべてつくられた碑があった。

 日差しがつよい。過露出の写真のようだ。風がごうごうと吹き寄せている。海がどうどうと鳴っている。この南には、もうフィリピンまで陸地はない。
 記念写真を撮った。あまりの日差しのつよさに、四阿に避難して一休み。コンクリート製の四本の支柱のうえに屋根をのせただけの、簡単なつくりだ。

 マグマグで《みの》に飲み物を飲ませていると、一台の軽四輪がやって来た。車腹に「けだもと荘」とある。数名の日帰り観光客をつれて、今朝方わかれたばかりのおばさんが降りてきた。おばさんはわたしたちに気がつくと、「あーれー、また会ったねえ。元気かい?」といって《みの》の頭をなでてくれた。《みの》はマグマグの乳首をくわえたまま、ニッとわらった。




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