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散歩旅のもくじ


自然と人工、そしてハレアカラ
マウイ──2000/09

 
1 ──ハレアカラ・ハイウェイ
2 ──山頂からの眺め
3 ──標高10000フィートのチャント
4──女神ペレと英雄マウイ
5──星々にいちばん近い場所
6 ──ハレアカラの両義性
7──自然と文化の「進化」の舞台

     

3 標高10000フィート
   のチャント

   もっとも、そんなことは、《みの》にも《なな》にも一切関係がない。かれらがもっぱら熱中していたのは、展望台の横につくられた低い石垣の上を、平均台のようにしてどこまで歩けるか、ということ。熱心に、途中で何度落ちても、またよじのぼって挑戦するのである。
     
 

     
[*]  フムフムヌクヌクアプアアとはハワイ語で「ブタのような鼻をもつ魚」という意味。モンガラカワハギ科の魚で、和名はツキモンガラ。ハワイ州魚だが、もともとのハワイ人社会では格の低い魚であったため、その指定にはかなり反対があったという。清水善和『ハワイの自然──3000万年の楽園』(古今書院、1998年)より。  

 下の駐車場から、女性のレンジャーがあがってきた。さっきのひとではなく、長い黒髪と黒くて大きな眼をもった、一目でネイティブ・ハワイアンの血をひくとわかる容貌の女性だ。勾玉のような首飾りを何重にもしていた。
  彼女は、われわれをみつけると、だまって塗り絵を手渡してくれた。それは、ハワイの動植物の姿を描いたものを複写したものだった。州鳥ネネや銀剣草はもちろん、ウミガメとか、フムフムヌクヌクアプアアという、とんでもなく長い名前の魚もあった [*]。手書きのものをコピーしたとわかるものだったが、とても温かみが感じられた。絵をみた子どもたちは、うれしそうに喚声をあげた [*塗り絵]。

     
 

 

     
[**]  池澤夏樹『ハワイイ紀行』(新潮社、1996年)によれば、「一般に朗唱に適したハワイイ語の詩は今はすべて英語でチャントと呼ばれるが、具体的には踊りを伴うものはメレ・フラと呼ばれ、ただ朗唱だけのものはオリと称される」という。    その女性レンジャーは、展望台の脇の、ハレアカラ・クレーターの見下ろせる場所に立った。それからクレーターと眼下の海に向かって、よく透る深い大きな声で、短いチャントを朗唱した [**]。その声には、なにか祝詞のようなある荘厳さがあった。それから彼女は展望台のなかへ入っていった。すでに20人ほどが待っていた。ビジター・トークの始まりだった。
     
 

     
 

 レンジャーによるトークというから、クールな調子のものを想像していたら、まるで違っていた。それはひとつのパフォーマンスだった。

 「わたしたちの立つ場所は──」と彼女は八角形の展望台の中心の床を指さした。
 「いまから3000万年前にはまだすっかり海の底でした。やがてマグマの活動が始まり、噴火し、隆起した頂上が海面から顔をのぞかせて島が生まれるようになりました。いまのハワイ諸島の最西のニイハウ島やカウアイ島が形成されたのが510万年まえ、みなさんがいま立っているこのマウイ島のハレアカラが10023フィートの高さに達したのは、約75万年まえのこと。このように、北西から南東にかけて島々が点在しているハワイ諸島は、その順番に誕生してきたのです。さらに興味ぶかいことに、こうした科学的知見が教えてくれることは、ハワイの伝説によく符合するのです」

 そして彼女は、女神ペレの物語を話しはじめた。  

 


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