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散歩旅のもくじ

ラオスで迎えるクリスマス
ラオス、タイ──1999/12-2000/01
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バンコク→ノンカイ、鉄道の旅──第2日

 ロビーでわたしはバッグにもたれて先に眠ったが、《みの》も《なな》もなかなか寝つかれなかった。ソファが一人分ずつ手すりのついた寝にくい形状だったこともあったろうし、生まれて初めてのロビーでの仮眠ということで、興奮していたのかもしれない。煌々と明かりが光り、免税店では音楽が鳴っている。やがて、《みの》が寝、《あ》が寝た真似をしても、《なな》はひとりソファに坐って、集まっておしゃべりしている免税店の女性店員のひとたちに愛想をふりまいていた。店員の一人がやってきて、仮眠しやすいように、ソファを向かい合わせにするといい、と手ぶりで教えてくれた。

 ふたりとも寝入るのが遅かったので、予定を半時間ほど延ばして、0430まで待っておこす。階下の入国審査場はがらんして、ほとんど誰もいなかった。外交官用の窓口だけがあいていた。数人の審査官がいて、すぐに手続きしてくれた。だだっ広いバゲッジクレームの壁には、電飾のサンタクロースやトナカイが点滅し、クリスマス・ソングが流れていた。
 入国ロビーの両替所は閉まっていた。出発ロビーへ行き、T/C$300を$の現金に替えた。$100につき$3のコミッション。高いなあ。
 タクシーでホアランポーン駅へ。到着すると、運転手は何かライセンスらしいものをかざし、エアポート・タクシーだから手数料$50を上乗せしろという。わたしの理解が不十分かもしれないが、正式には、窓口をとおしたときのみ手数料を払うのではないか。出発階でタクシーを拾ったのが間違いだった。腹はたつが、じつはこちらも時間がない。手持ちの200Bをくれてやる。メーターは169Bだった。

 駅舎も電飾されていた。まだ日も昇らぬ早朝だというのに、大勢のひとたちで混みあっていた。ノンカイ (Nong Khai) 行きの窓口をさがし、3等で大人2 (143×2) 子ども2 (92×2) 。お釣りをもらい、改札を入場してホームへでた。なにか違和感が消えなかったが、ふと気がついた。不覚にも、1000B札をだしたのに、500B分のお釣りしか受け取らなかったのだ。これは係員の故意ではないだろう。わたしの頭がまだ日本モードのままなのだ。その場でちゃんとお釣りを確認しなかったのがいけない。
 列車は8番線に入線していた。車腹に2とか3と大きく数字が書いてあり、これが等級を示す。わたしたちのチケットには4号車と指定されている。うしろの車両は食堂車(というか実質的には厨房車)。木製のボックス席で、チケットに記された座席番号にしたがって坐る。われわれ4人でボックスをひとつ占領する格好である。以前の『ABロード』の記事には、チケットの指示にかまわずどこに坐ってもいいと書いてあったが、まわりのひとたちも、ちゃんと指定された場所に坐っているようだ。座席はほぼ8割方埋まっている。
 窓にはアルミ製の日除けがはめてある。あげようとするが、固くてひと苦労である。車両は古く、つかい込まれている。0615定刻に出発。走りはじめると、開けた窓からどんどんほこりが入ってくる。シートでまるくなって寝ている《みの》の上に、たちまち埃と塵の山ができた。
 客車が約10両、それをディーゼル機関車が引く。ガタンガタンとかなり激しく揺れる。快速(Rapid)だが、ノンカイ到着は1800の予定。

 隣の食堂車からは、走りはじめて以来、ひっきりなしに物売りがやってくる。主要な駅に停まると、そこからも乗り込んでくるし、車両の外でも売っている。鶏を大きな竹串に刺して焼いたもの(ガイ・ヤーン)を買う。わが子どもたちは奪いあうようにして食べる。一緒に買ったカオニャオ(炊いたモチ米)がとてもおいしい。乗り合わせたひとたちを見ていると、けっこういろんなものを買っている。買って食べるのも愉しみのうちのようだ。ドンムアンをすぎる。ここから乗車してもよかったのだが、ちゃんとノンカイ行きの列車をつかまえられるかどうか自信がなかったので、わざわざホアラポーンまで行ったわけだ。
 アユタヤまではレールも太く、バラストもしっかり撒いてあった。これ以降、だいぶ規格が落ちるようだ。とはいえ保線自体はまじめにしてあるようで、乗り心地に大差はない。
 水田(?)のなかを走る。しばらく行くと駅に着く。『地球の歩き方』タイ編付録の地図を見るが、かなり大雑把な代物で、現在地の見当をつけることすらできない。
 向日葵畑がどこまでもつづいている。やがて疎林を抜け、左手に岩山が見えたとおもったら、右手に岸辺があらわれた。水量はものすごく多い。岸には波が寄せている。海かと見まごうほどだ。川なのか湖なのか、地図を見ても判然としない。乗客たちはみんな右側の車窓に集まって、きらきら光る湖面をながめている。隣の食堂車のスタッフのお兄さんたちも同じようにしている。それまで寝ていた《みの》が急にむっくりとおきた。「なんか、向こうに島が見えるよ」と言った。

 昼食用にチャーハンを2つ買った。スーパーの食品トレイのような発泡スチロールの器に山盛りになって、ラップをかけてある。小さなプラスチックのレンゲつき。それをお兄さんたちがお盆にのせて売りにくる。車販である。ちなみに、この列車旅でわれわれが車販から買ったのは、このほかに先述のガイ・ヤーン、さらにもうひとつガイ・ヤーン(とカオニャオ)、リンゴ1個、紙パックのオレンジ・ジュース。
 通路をはさんで、われわれと反対側には、おばさん2人づれと、2歳くらいの女の子をつれた若い夫婦が坐っていた。発車のとき、《みの》がアメを女の子にあげに行った。しばらくすると彼女の父親は、キンカンほどの大きさのリンゴのような果実(車販で売っていたもの)をくれた。《みの》と《なな》が、おいしいねえとよろこんで食べるので、かれはさらに果実をくれた。おばさんのひとりは、何かというと《なな》に声をかけてくれた。《なな》は、しかし眠くて仕方ないふうで、車中では終始ご機嫌ななめだった。

 コーンケーン(Khon Kaen)の手前で列車が急停車した。みんな窓から顔をだし、がやがやとしゃべりあっている。ドアは開放式だから、勝手に車外にでて、列車の後方に目をやっている。われわれのひとつ前寄りの車両は2等車だ(2人がけのリクライニング。だがボックスをひとつ占有できるのなら、われわれには3等で十分だ)。そこに坐っていたフランス人(とおもわれる)おじさんに訊くと、どうも人身事故らしい、とのこと。線路に併走する道路を、砂埃を巻きあげながらトゥクトゥクが走り去っていく。このあたり、道は舗装されておらず、煉瓦をくだいて撒いたような色をしている。
 15分ほどして、再び発車した。1500コーンケーン着。ひとも荷物もかなり降りる。また一走りしてウドン・ターニ(Udon Thani)着。客車が数両、切り離される。その作業を、昇降ステップのところにぶら下がって見物していると、《みの》がやってきて、ぼくも同じようにしたいと言う。危ないよと言っているうちに、列車が急に停まり、大きな衝撃がきた。《みの》はすっかりおどろいて、すぐに座席にもどっていった。
 写真を撮って席にもどると、隣のおばさんから菓子パンを2つもらったところだった。子どもたちはさっそく食べてしまう。バンコクからノンカイまで624km、12時間以上におよぶ長旅だ。だが、長いというより、むしろ何となくのんびり愉しんでいるうちに12時間がすぎてしまった、という感じだった。

 すっかり日の暮れた1825、列車はノンカイ駅に到着した。停車と同時に乗り込んできた若い男に、いきなり声をかけられる。トゥクトゥクの運転手が客引きにやってきたのだと理解するまでに、3秒くらいかかった。Phantavee Hotelへ行ってもらう。『地球』にのっていたホテルである。この町では大きなホテルなのだろう。受付には愛想はないが部屋はあるという。見せてもらい、ここに決める。きれいな中庭を抜け、いったん裏通りにでて、すこし歩いた別棟のいちばん奥がわれわれの部屋だ。D4というから、A棟とかB棟もあるのだろう。
 町へでる。道端に屋台がでている。「ここでもいいな」と言うと、「いきなり屋台は……」と《あ》に釘を刺される。通りをわたって反対側にあるThai Thaiという店に入った。
 大きな倉庫のような空間にテーブルが並び、地元のひとや白人旅行者が食事をしている。カウンターには野菜や魚貝類、肉類が並べられている。スープ、鴨のロースト、野菜炒め、チャーハンをたのむ。《みの》は先ほどの菓子パンのせいか、ほとんど食べなかった。

 クリスマス・イヴのノンカイは予想をはるかに越えて寒かった。日本を発ってしまえばきっと不要になるだろうとおもっていた薄手のセーターを着ていても、震えるほどだ。部屋へもどってもまだ寒い。シャワーを浴びて寝てしまおうと、《あ》が子どもたちをつれて浴室へ入ったが、ほとんど水しかでないという。部屋を見せてもらったとき、ホットシャワーかと確認したのだが、電話機ほどの大きさの電気式温水器がついているだけで、温水の容量があまりに小さかった。3人ともシャワーからあがって震えている。つづいて、わたしも浴びる。水が身体にかかる。心臓が止まるかとおもうほど冷たい。2つのベッドに、《あ》と《なな》、《みの》とわたしにわかれて眠る。
 夜半。
 「おとうさん、うんち」と《みの》が言う。トイレにつれていくと、すでに少しもれていた。ゆるい。お腹をこわしたようだ。「おしっこみたいなうんちがでる」と、便座に坐った《みの》は情けなさそうに言う。新しい「おうま」(のマークがついているので、《みの》はそうよぶ。幼児用おねしょパンツのこと)に代えて、再びベッドへもどる。どれほどたったろうか、《みの》は突然身をおこし、ベッドの上にもどした。《みの》がもどすのは、たぶんこれが初めてだ。じぶん自身、びっくりしている。トイレにつれていく途中、床にもう一度もどした。《あ》がおきてきて、毛布カバーを洗ってくれた。
 それからおそらく2-3時間後、《みの》はまた「うんち」と言った。今度も少し「おうま」を汚していたが、今後のやりくりのことを考え、トイレットペーパーできれいに拭いて、もう一度はき直してもらうことにした。カバーをはぎとった毛布だけでは、《みの》と二人でくるまっていても寒さはしのげなかった。《みの》は、このあと、ともかく朝までトイレに行かずにすんだ。


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