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ラオスで迎えるクリスマス
ラオス、タイ──1999/12-2000/01
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ルアン・プラバン散歩1 ──第5日 (2)

 Wat Mai Suwannaphumahamへ行く。LPの表紙にもなっているお寺だ。屋根が何段にも重なったルアン・プラバン様式。壁の金細工が細かく、模様や象の絵柄が描かれている。
 境内の一角に僧房があった。若い、まだ子どものような僧たちが《みの》に声をかけてきた。《みの》はリンゴを一片もらった。お礼にアメを少年僧たちにあげた。それを見ていた、すごく偉そうな僧が、にこにこして《みの》を手招きする。《みの》もにこにこして、近づいていった。二人は手をつなぐと、そのままその高僧の房に入っていった。しばらくすると、《みの》は両手いっぱいにリンゴ、オレンジ、お菓子をもらって帰ってきた。少年僧たちから、わあっ! と喚声があがった。さらにそのあと、《みの》は再び高僧によばれた。こんどは袋入りインスタント・ラーメン(!)をもらってきた。《みの》はもう、にこにこがとまらなくなった。僧たちのみならず、道行くあらゆるひとたちに、「バイバーイ!」と大きな声で手をふりながら歩いていた。

 王宮の向かいからPhu Siとよばれる丘に登る。入山料ひとり8000K。道には階段がつくられ、しっかりと整備されている。《みの》は、さっきのお寺でのこともあって、絶好調である。途中すれちがう観光客にも残らず「バイバーイ!」とやっている。
 頂上に着いた。展望はなかなかのものだった。飛行場からメコン川までぐるりと見渡せる。コンクリートの座の上に、黄金色のストゥーパが立っている(《みの》いわく「きんいろのとんがったの」)。ほかに誰もいない。天気もよくて暖かい。《みの》はそこらに転がっている木の枝を集めるのに熱中し、《なな》はおむつを取り替えたあと、せっせと歩き始めた。山頂を隅っこのほうへ行くと、白人青年がLPを顔に乗せて昼寝をしていた。

 下山してThanon Phothisalatをぶらぶら歩く。小学校があり、子どもたちが大勢遊んでいた。《みの》は一緒に遊びたそうにしていた。白人の若い女の子が子どもたちと楽しそうに話をしていた(ことばが通じていたかどうかはわからないけど)。やがてひとりの少年が、軒下に吊り下げられた鐘を叩くと、子どもたちは教室のほうに駆けていった。

 いったんホテルへ戻り、まだ陽のあるうちにシャワーを浴びる。1800よりホテルの庭でビア・ガーデンが始まるという。子どもたちが待ちきれないので、10分前に表にでる。伝統音楽の演奏が始まる。陽の暮れたルアン・プラバンの寒さは相当なものだった。寒くてビールなど飲めたものではない。食事もしたが、とにかく寒いので早々にビア・ガーデンをあとにした。

 もう少しなにか食べたいというので、近くのアパートの軒下に店をだしているおうどん屋さんへ行く。固定された屋台みたいなところだ。トゥクトゥクの運転手をしているという若者が、少し英語がしゃべれるからだろう、話しかけてくる。気はいいのだが、案の定、さいごは明日はどうする? となった。
 おうどんは、お肉のしっかり入ったこってり味だった。ちょっと名古屋の「寿がき屋」をおもいだす味である。地元のひとたちは、お米を揚げたおせんべいみたいなものを割入れている。《みの》に、ここのおうどんはずるずると音をたてて食べてはいけないんだよと教える。《みの》は喜んで、2/3ほども食べてしまった。《なな》も愉しんだみたいだった。寒さに、からだが少し温まった気がした。

 店をでると《みの》が言った。
 「なかなかいいお店だったね」
 夜空にオリオン座が光っていた。


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