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散歩旅のもくじ

ラオスで迎えるクリスマス
ラオス、タイ──1999/12-2000/01
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ルアン・プラバン散歩2 ──第6日

 翌朝は0900に表にでた。息が白い。「じょうききかんしゃみたいだよ!」と《みの》が言う。とんでもなく寒い。

 昨夜からわたしのお腹のぐあいがわるくなった。
 きのう入ったパン屋のはす向かいにある外国人旅行者向けレストランに入る。看板を見るとパン屋と同じ名だ。菓子パンやケーキ、バゲットがショーケースに並んでいる。  パイナプル・シェイクとプレーンなパン3種をたのむ。パンは子どもたちがあらかた食べてしまう。一口もらう。おいしいパンだった。
 ここで最初ふつうに「フルーツ・ジュース」と注文したら、紙パックの製品がでてきた。果物を直接搾ったのがいいのだと説明する。問答の末、店の女の子は、なんだ、フルーツ・シェイクのことか、と納得した。ラオスでは、そうよぶらしい。台湾のそれのように、ただ果物を搾るだけではなく、氷とシロップと少量の水をくわえてミキサーにかける。だからシェイクというわけだろう。付言すれば、この店のパイナプル・シェイクは、この旅のあいだにのんだなかで、いちばんおしかった。周囲の店が2000Kのところ、倍の値段だったけれど(ビエンチャンでは3000Kのところが多かった)。

 昨日入れなかった王宮博物館へ行く。門を入ってすぐ右のHaw Pha Bangという寺院のようなところでは、内部2階のレリーフをつくっている工事中だった。職人さんが下絵にしたがって漆喰を盛りあげていく。
 門をはさんで反対側には、全長5mほどもある大きな王様の像が立っている。LPによればKing Sisarang Vongだという。《みの》は「大きなおにだよ」という。
 V字型の並木の奥に王宮が建っていた。カメラやバッグは預ける。大人ひとり10000Kと高い。
 内部は王室がつかっていたらしい調度品、他国からの献上品が飾られている。展示にはあまり論理性はなく、説明も少ない。鉄製の円柱形のものがある。太鼓だという。中央に太陽が、そして同心円状に鳥や星や動物が描かれている。叩くと、にぶく、くぐもった音がした。
 建物の天井は高く、日差しが部屋に直接射し込まぬよう軒も深い。窓が開け放たれ、風が通り抜ける。一年のほとんどは蒸し暑い風土だから、だいぶ涼しい建物だろう。ただし、きょうについて言えば寒い。
 日本のお城の模型がある。東京都から贈られたものだ。アポロの月着陸船もある。当然、米国からの贈り物だろう。
 表の石段で日に当たる。日差しは強いから、すぐに温まる。

 歩いて15分ほど南へ行く。小さなLao Aviationのオフィスでリコンファームをすませる。
 さらに西へ向かって歩いてみる。住宅が建ちならぶ。サボテンを生け垣にしている家がある。ペットボトルを半分に切って、植物を植えてから上から吊していたりする。
 Thanon Phu Waoに面したMalee Lao Foodでフルーツ・シェイクを飲む。道路から一段下がったところにウッドデッキがしつらえてある。地元の大家族(赤ちゃんもいる)が集っていた。

 ここで一息ついたら、それまで文句たらたらだった《みの》は、すっかり元気を取り戻した。道ばたで棒を拾い、たたたたーと先に駆けてゆく。わたしはお腹のぐあいがおもわしくなく、ゆっくりとしか歩けないが、《みの》にはいいペースかもしれない。
 うしろから自転車にのったおばさんがやってきた。《なな》は昨日から《みの》にならって通りがかりのひとたちに「わうわう」といって手をふる。横にバイバイするのではなく、手首を前後にひらひらさせる。このときも、《なな》はおばさんに愛想をふりまいた。おばさんもにっこりして、それからわれわれを追い越していった。おばさんの自転車が、前をゆく《みの》に並んだ。そのとき、《みの》はなにをおもったのか、突然走り出し、自転車と併走するような恰好になった。おばさんはふり返り、微苦笑した。《みの》もふり返り、得意満面の笑みを浮かべた。

 突きあたりまで行く。LPにはWat Pha Baat Taiというお寺があることになっているが、空き地のなかに、革命の指導者だろうか、胸像がひとつ建っているばかりである。
 わたしは歩き疲れ、段に腰をおろして坐っていた。《みの》は胸像の裏にまわり、さっそく棒の収集を始めた。《なな》は門からじぶんの足でよちよち歩いてきて、《みの》のところまで来ると、こんどは《みの》の集めてきた棒の「整理」を熱心に始めた。
 地元の子どもたちの遊び場でもあるらしい。《みの》と同年代の二人の男の子がやってきた。壊れたラケットで、バトミントンみたいなことをして遊んでいた。帰り際、かれらにアメをあげる。《みの》がバイバイと言うと、二人もバイバイと手をふった。

 ゆっくりと歩いて、交差点まで戻ってきた。絵はがきをだそうと郵便局へ行くと、数人の白人たちが坐りこんでいた。聞くと、郵便局はお昼休みで、午後1時にならないと開かないという。いま何時? と訊かれたので、時計を見せる。午後1時を10分ほどすぎていた。相手は肩をすくめた。

 昨日のパン屋でバゲットを一本買い、銀行の隣の店でシェイクをのむ。ここのシェイクもけっこうおいしい。日本人の若い旅行者と同席。定職をもっているが、うまくすればあと一年は旅をしていられるという。どんな仕事だろう?
 郵便局で絵はがき3枚を投函。一枚2600K。窓口の表示は、ラオ語とフランス語だ。

 Phousi Hotelの前庭で、バゲットとミネラルウォータの昼食。《みの》と《なな》は植え込みの多いこの庭がお気に入りのようだ。追っかけっこをしたらい、石を見つけたりして、いつまでも遊んで飽きることがない。

 陽が暮れる。寒さはあいかわらず相当なものである。めし屋で、白いごばんにおかず3品をのっけたものを食べる。辛いおかずは避けた。ついで、《みの》のたってのリクエストで、昨晩とおなじおうどん屋へ行く。先客に、日本人女性旅行者がいる。日本を発って2カ月だという。
 《みの》は、きょうも一杯のほとんどを食べた。音をたてずに食べるのもうまくなった。わたしはきょうはビール抜き。

 夜のルアン・プラバンは、ビエンチャンにも増して街灯が少なく、ほんとうに暗い。
 《みの》が言った。
  「あかるいおほしさまがみっつあるでしょう? あれ、なんだっけ?」
 昨晩とおなじように、オリオン座が輝いていた。


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