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散歩旅のもくじ

ラオスで迎えるクリスマス
ラオス、タイ──1999/12-2000/01
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ビエンチャンのクリスマス──第3日

 クリスマスの朝。
 目を覚ましたのは0900に近かった。《みの》のお腹は、やっぱりまだ治っていなかった。ホテル併設の食堂で朝食中、《みの》が「うんち」と言う。駐車場奥のトレイにつれていくと、そこはいわゆるアジア式だった。初め《みの》はいやだと言っていたが、観念して入る。個々のトイレは清潔で気持ちよかった。用をすませたあと、アジア式洗浄法を説明しながら、実際にわたしが左手で《みの》のお尻を洗ってやる。そのことを、卓にもどってから、《みの》は《あ》に報告していた。

 1時間ほど、ひとりでメコンの渡しへ行ってみた。ここの渡しは地元のひとしかつかえないのだそうだ。濁ったメコン川の向こうには、対岸が意外に近くに見える。そこはもうラオスだ。
  周辺に立ち並ぶ市場を歩いた。中華風の衣装を売る店、荒物屋、電化製品屋、線香屋、おもちゃ屋などが軒をつらねる。《みの》ほどの子どもが、母親と一緒に店番をしている。手にしているおもちゃのようすから察するに、けっこう裕福な感じだ。食べ物屋の数は多くないが、川をながめられる店では、店先で大きな川魚(メコン産だろう)を炭火で焼いている。ベトナムの生春巻きをならべているおばさんもいた。タイとラオス、ベトナム、中国をむすぶ交易の要衝らしい。

 トゥクトゥクにのって、メコンに架かる友好橋へ行く。《みの》も《なな》も、トゥクトゥクが大好きだ。風に吹かれながら、一所懸命、前方へ視線をやっている。
 まず、高速道路の料金所みたいなタイ側のイミグレで出国の手続き。そのあとシャトルバスにのって、橋をわたって国境を越えるのだが、やってきたマイクロバスを見ておどろいた。くっきりと日の丸が描かれている。何ごとかとおもってよく見たら、ODA(政府開発援助)で供与されたものだと書いてあった。
 小さなバスはひとと荷物ですし詰めだ。《あ》と子どもたちを坐らせ、わたしは通勤電車よろしく立っていた。そのままバスはコンクリート造往復2車線の立派な橋をわたる(オーストラリアの援助で完成したものだという)。わたりきるとラオス側のイミグレがあり、下車。まず "Visa on Arraival" の窓口にてビザ取得のための手続きをする。
 ガイドブックには昼休みありと書いてある。ちょうど昼時だったが、受け付けてくれるようだ。書類に必要事項を記入し、かねて用意の写真とパスポートを一緒にわたす。写真は、係りのおじさんが書類にホチキスでとめてくれる。ひとり$31×4=$124。$130だすと、お釣り $6 を返してくれた。
 つづいて入国のための書類を書く。名前とか生年とか旅券番号とか、同じことを毎回4人ぶん書かねばならない。ものすごく手間がかかるうえ、だんだん飽きてくる。子どもたちも待ちくたびれて、わけもなくうろうろし始める。だが係官のひとたちは、意外なほど親切だ。気安く子どもたちに声をかけてくれる。審査を通過し、入国税(?)を支払い、すべての手続きが完了するまでに、じつに1時間を要した。
 再び日の丸をつけたマイクロバス(前のとは別のやつ)に乗り込んで2分も走ると、ぶじラオス入国である。声をかけてくる乗り合いトゥクトゥクで、ビエンチャン市街へ向かう。あたりの風景は、タイやベトナムの郊外のそれとよく似ている。道幅の真ん中部分だけに施された舗装。木の軸組に編み竹の壁の家。四角いコンクリートの箱のような商店。行き交うバイクはほとんど HONDA、トラックは NISSAN, HINO, HUNDAI。やがて市街へ入る。タラート・サオ(市場)で、「肌ふとん」と日本語で書かれたパックをぶら下げた白人の中年夫婦を見かける。
 町の中心部、メコン川に面したランサーン・ホテル(Lane Xang Hotel)で降ろしてもらう。約束の100Bを払うとき、運転手はだめでもともとという感じで、120Bにしてくれないか、と言う。100Bの約束じゃないかとにっこり答えて、乗り合わせたお嬢さんに手をふる。

 白亜中層の立派な建物に前庭がつき、植込みからは噴水があがっている。どうもトゥクトゥクで乗りつけるのは場違いな感じが否めない。開放政策のすすむ数年前までは、ビエンチャン随一の、ということはラオス最高だったホテルだ。いまでは『旅行人ノート3 メコンの国』でもLonely Planet (LP) でも中級/middle に分類されているけれども。
 レセプションで部屋の有無を訊ねると、次のような答えが返ってきた。
 「きょうは満室ですが、すぐ近くのパートナー・ホテルをご紹介しましょう。うちは$25ですが、そちらは$23です。ところで、今日はクリスマス。午後5時からクリスマス・パーティをひらきますので、ぜひお出でください。無料ですから」
 インビテーションを手渡され、ホテルのクルマで、パートナーというDouang Deuane Hotelへ向かう。ランサーン・ホテルよりうんと小さいが、ホテルのひとたちの感じがよかった。施設は古いが造りはしっかりしていて、掃除も行き届いている。なんといっても浴室にはバスタブがつき、湯沸器ではなく給湯式だ。昨夜のことがあるから、切実である。ここに落ち着くことに決める。

 明後日にはルアン・プラバンへ行くつもりである。航空券を買うためにチケット・オフィスへ行くが、土曜の午後のためお休み。ランサーン・ホテル裏にあるLao Aviation本社へ行くと、ドメスティックの窓口は閉まっていたが、インターナショナルのほうは午後4時まで開いているという。そちらで受け付けてくれた。帰路はバスとも考えたが、昨日の汽車旅以上にハードなものになりそうなので、往復とも飛行機にする。支払いはカードでできたが、4人の往復分のチケットを手書きでつくるため、やたらに時間がかかる。途中で自転車に乗ってやってきた白人青年をずっと待たせてしまっている。一言あやまると、気にしないで、本を読んでいるから、と言ってくれた。
 手続きがすむと、白人青年のあとからやってきた中年(40代後半くらいだろう)の日本人の男の人に声をかけられた。ビエンチャン事情を訊ねられたのだが、家族づれなので、どうも当地あるいはバンコクあたりの駐在員かとおもわれたようだ。事情を話し、あまりお役に立てそうもない旨言うと、おじさんはじぶんの旅の話を始めた。こうなると、もう止まらない。
 「ラオスには去年も来た。ルアン・プラバンへ行かれる? わたしはいちおうサラリーマンですので、ゲストハウスは嫌。泊まるところにはこだわります。ルアン・プラバンではVilla SantiやPhousi Hotelが有名ですが、わたしの目で見ますとファシリティが古い。ルアン・プラバンではあちこち見て歩いてル****(不明。後日、地図で教えてもらったあたりを通りがかったときに探したのだが、わからなかった)にしました。1泊$40以上しますわ。それにしても、日本人で子どもづれは初めて会いました。西洋人には多いですが」
 おじさんの順番がきたのを潮に、われわれもオフィスをでた。すぐ向かいにあるタイ航空のオフィスへ行く。12月31日のバンコク行きを予約しようとおもったのだが、閉まっていた。警備員に、月曜の朝にくるように言われる。

 メコン河畔にでた。川幅は広いが、揚子江のような大河ではなく、木曽川くらいのものである。水は土色に濁り、乾期のため水量が少なく、中州が顔をのぞかせている。10代初めくらいの僧衣をまとった少年がくる。ブリキの如雨露を2つもち、メコンで水を汲んで、河畔につくられた畑に水を撒く。畑にはトウキビのようなものや、何か葉ものの野菜が植えられている。僧たちの自活のためのものだろう。

 1700ランサーン・ホテルへ行く。パーティには少々早かったようだ。まだひともほとんどおらず、準備中である。会場の隅で待つうち、三々五々ゲストが集まってきた。1800近くなって、パーティが始まった。JICAの関係で一月前からビエンチャンの市役所にきているという日本人のおじさん(60歳はすぎているとおもわれる)と話をする。このホテルに住んでいるらしい。道路をつくったり、公園を整備したりするのが仕事だという。われわれが昼間とおってきた友好橋も、当初は日本が援助する計画だったという。ホテルのひとから、クリスマスの記念品をもらう。木でつくられた橇に、小鳥がとまっている置物だ。それが入った手提げ袋は、不要になったカレンダーを利用したもの。ていねいにつくってあって、手提げのための紐までついている。みんな手づくりだ。
 パーティは立食形式だった。天ぷらもある。カラッと揚がっていて、けっこうおいしい。ここのレストランの日本食はなかなかいい、とさっきのJICAのおじさんが言っていた。《みの》は、怪物のお面をかぶったひとから飴をもらい、すっかりご満悦だ。
 1900前、ホテルをでる。庭には電飾が輝いている。

 部屋へもどり、浴槽に湯を張って、十分に温まってからベッドに入る。ベッドを2つくっつけると、まるで特大のキングサイズのようになった。
 その夜、やはり《みの》は「うんち」におきた。新しい「おうま」(幼児用おねしょパンツ)をわたし、早く着替えなさいと言う。着替えているとき、何か咽にひっかかったのか、《みの》は急にもどした。《あ》も飛びおきる。《みの》はもう一度着替えさせる。手にしていた「おうま」にもかかってしまったため、さらに新しいものに取り替える。風呂場の足ふきで、床にひろがったものを拭う。足ふきは浴槽にもっていき、じゃぶじゃぶと洗った。


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