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散歩旅のもくじ

ラオスで迎えるクリスマス
ラオス、タイ──1999/12-2000/01
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ビエンチャン散歩1 ──第4日

 ビエンチャンは赤茶色の町である。一昨日、バンコクからノンカイへ向かう汽車旅のさい、ウドン・ターニあたりから地面の色が煉瓦を敷き詰めたような色に変わっていることに気づいた。ノンカイもそうだったし、メコンを越えたここビエンチャンもそう。
 町の区画は、フランス植民地時代に形づくられたものなのだろう、きれいにグリッドがかけられ、ところどころロータリーがある。フレンチ・コロニアル・スタイルの大きな邸宅がある。噴水がある。バイクや車の数は、たとえばバンコクやサイゴンのそれとは比べものにならないくらい少ない。しかもあまり速度をださない。

 タラート・サオ (Talaat Sao) は、昨日、友好橋からのトゥクトゥクが立ち寄ったところだ。日用品を中心に、電化製品、工具、服、貴金属などを扱う大市場である。三角形をしたビエンチャン様式をいちおう模したとおもわれる屋根をもつ市場は、だいたい以下のような配置になっている(図1)。

図1 タラート・サオ(市場)の配置

 市場内には両替所がある。2階は貴金属店街になっていて、ここのお店でも両替ができる。ガイドブックには、貴金属店のほうがレートがいいと書いてあったが、このときはどちらも同じだった。
 貴金属店街の隣は、洋服屋街。お腹をこわしている《みの》のために、パンツを3枚買う。ちょっと光沢のある生地で、文脈によってはやや妖しげな感じでもある。おねしょパンツも、もう持ちあわせ分をほぼつかいはたしていた。けれどもこれは探せど見つからず、思案の末パンパースの紙おつむXL4枚入りを買い、おねしょパンツのなかに敷くことにする。

 市場をでて、Patuxaiへ行く。LPにはPatuxaiとあり、『メコンの国』ではAnousawari(アヌサワリー)となっている。前者が正式のラオ語名らしい。市内でもっとも目立つ建造物である(図2)。

図2 Patuxai/アヌサワリーの図解

 市場からは子づれで歩いて20分ほど。パリの凱旋門を模して建てられたものだというが、近づいてみるとコンクリートの塊に装飾をぺったりととってつけたようで、学園祭のハリボテみたいである。アーチ下にはお土産物屋がでている。地元の子どもたちが20人ほど、わあわあ言いあいながら中に入っていく。われわれも大人一人500Kを払ってあとに続く。
 四角い内部は暗くて湿っぽい。造りはかなり大雑把で、階段もじつに粗末である。3-4層のぼるとまず上の図2のなかでいえば、 (1) に到達する。真ん中にある塔内のらせん階段を登ると (2) に達する。さらに狭い階段を登ると、最上の (3) へたどり着く。ただ、ここは狭く、小さな覗き窓からしか外を眺めることができない。(2) は灯台や天守閣の上部みたいに、塔のまわりをぐるりと周回できる。ここから町を眺めると、緑のなかに埋もれるように町が広がっているように見える。ここより高い建造物といえば、鉄塔くらいのものだろう。北東の方角に金色に輝く半球が見える。タート・ルーアンだ。
 先の子どもたちは、Patuxai内の階段を登ったり降りたりしている。格好の遊び場である。アーチ下のお土産物屋で、ラオの子どもの写真の絵はがきをみつける。

 Patuxaiの建つロータリーからタート・ルーアンへはまっすぐ一本の道が通じている。通りがかるトゥクトゥクに「タート・ルーアンまで、いくら?」と声をかけると、10000Kとか、とんでもなく吹っかけてくる。声をかけては断る、というのを何度かくり返しているうちに、とうとうタート・ルーアンへたどり着いてしまった。
 タート・ルーアン(Pha That Luang)はラオスでもっとも重要な宗教記念碑だそうだ。ラオスの人は500K、外国人はその倍の入場料が必要である。半球を伏せた上に尖塔がのっかっている。全体には黄金色のペンキが塗ってある。おなじ金色といっても、近づいてよく見ると細かい装飾が施されているバンコクの王宮とはだいぶ異なる。半球のまわりは、屋根のついた塀といった感じの建物に取り囲まれ、屋根の下には仏像がならんでいる。この中庭が境内ということになるのだろう。年に一度のお祭のときにはたいへんな人手だというが、きょうは人影も少なく、落ち着いている。
 仔猫がいた。《みの》が「ねこさあーん、ねこさあーん」とよびながら近づいていっても逃げない。臙脂色の袈裟を着た僧が歩いていく。出口近くに、なかなかよい顔をした仏像があった。

 タート・ルーアン前のだだっ広い広場にトゥクトゥクが客待ちをしていた。ホテルまでいくら? と訊ねる。最初のうちは、遠いからと10000Kとか8000Kとか言っていたが、じゃあ歩くよと行きかけると、5000KでOKしてくれた。ホテルに着いてトゥクトゥクを降りる。《みの》が運転手さんに「バイバーイ」と手を振ると、相手もおもわずにっこりした。ベトナムほどタフではない。

 子どもと一緒に昼寝をしたあと、歩いてレストランKua Laoまで行く。ここはラオ料理の高級店で、スープ、さつまあげ、ローストチキン、野菜炒めなどをたのむ。もちろんビア・ラオも。
 隣のテーブルには、ハノイに駐在しているという日本人会社員の中年夫婦がやってくる。
「いやあ、しかしビエンチャンは見るところがありませんなあ。半日で市内観光がすんでしまって、あと3日間の滞在中どうすればいいのか悩んでいるところですわ」
 子づれのわれわれを見て、やはり最初は駐在員かとおもわれたそうだ。ただのツーリストですというと、おどろいておられた。かれらは12月29日にはハノイへもどり、Y2Kにそなえるという。
 《みの》と《なな》がアイスクリームにとりかかるころ、店内にラオ音楽の琴の調べが流れだした。どことなく雅楽に似た印象をあたえる。会計は$24弱。ドルで支払う。

 日が暮れると、ビエンチャンの町はすっかり暗くなる。街灯も建物も車も少ないからだ。噴水はライトアップされていた。こう書くと立派な印象をもつかもしれないが、中学校の庭にあるようなささやかなものだ。あいかわらず寒い。24年ぶりの寒波にあたるとは、運がわるいのか、それともいいのか。


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