註:このページは旧サイト「子づれ散歩旅の絵本」(2004年にいったん閉鎖)のものです。現在は「さんぽのしっぽ」の一部として組み込まれています。アーカイヴを目的に復活させたため、その後のアップデートはおこなっておりません。当時のサイトURLは現在は有効ではなく、一部にリンク切れもあります。どうかご了承ください。
さんぽのしっぽホーム ▼子づれ散歩旅・旧サイトアーカイヴのトップ

あややぎ・こむ top
散歩旅のもくじ

ラオスで迎えるクリスマス
ラオス、タイ──1999/12-2000/01
0  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10

 

サバイディ! ──第7日

 Phousi Hotelの向かいは小さな広場になっていて、布や袋を売る出店がならび、店番がてら女の人たちが裁縫をしている。産直そのものである。ここでお土産用の布を買う。
 《みの》は小さな袋を買ってもらう。肩からかけ、さっそく広場に落ちていた石をしまっている。《みの》いわく「かたちのいし」、つまり何かに似た形をした(と、《みの》がおもう)石だ。いま、《みの》が気に入っているのは矢印のような形の黒くてつるつるした石。本人は「おふねだよ」と言っている。《みの》は日本人の中年旅行者に「おまえ、ほんとうはラオスの子じゃないか?」とからかわれていた。

 ビデオやカメラをたくさん首からぶら下げた東洋人がいた。挨拶するとアメリカ人だという。日本語もけっこううまい。
 わたしは別の店で、ラオ服(上着のみ)を買う。紺色で、詰め襟みたいになっている。$3。店に《なな》くらいの男の子がいた。一昨日、お寺でもらったチョコバーをあげ、《みの》と《なな》と三人で食べた。
 ルアン・プラバンにはベトナムのシクロのようなものや、バイクの隣にサイドカーのように座席をとりつけたものもいた。ビエンチャンでは見かけなかった形だ。

 ルアン・プラバンからビエンチャンへの便は、最新鋭のATR72だった。ビエンチャンのWattay空港に着いたときには1530をまわっていた。12月31日のバンコク行きを予約したいが、市内のTGのオフィスへ行っていては1600には間に合わないだろう。そこで、隣の国際線ターミナル内のLao Aviationオフィスへ行く。来意をつげると、係の若い男の子はうれしそうに" Oh! Y2K" と言った。大きなお世話である。そもそもLao Aviationはしばらく前まで外務省渡航勧告において「安全性が疑問視されている」と書かれていたのではなかったか。

 タクシーでDouang Deuane Hotelへ。空港ターミナルでは客引きに「25000」と言われる。高いよ、と言うと、柱の貼り紙を指さした。手書きで、なにやら「25000Kip」と書いてある。おもわず苦笑した。
 ホテルへ着く。前とおなじように「サバイディー」とドアを開けてくれる。《みの》はボーイさんたちに頭をなでられ、早くもにこにこである。  部屋は201。メコン河畔へ行こうとホテルをでると、通用口のところにメイドさんが二人坐っていた。《みの》を手招きする。《みの》がのこのこと行くと、おもいきり抱きかかえられた。

 メコン川の堤防上には、プラスチック製のイス、テーブルがいく脚となく並べられ、西洋人がビールを飲んでいた。一通り見物したあと、夕陽のよく見えそうな卓につく。ひげをたくわえたおやじさんが注文をとりにくる。パイナプル・シェイクをたのむ。
 泥色のメコン川は、この時間になると、傾いた日の光を反射して銀色に輝いていた。川舟に漁をするひとの影が動いていた。対岸はタイだ。その緑が逆光に黒く染まり、その向こうに、赤い火球となって陽が沈もうとしていた。


もどる

つぎへ