ピレネー 2014/07ピレネーを越えて──ベンヤミン・ルートを歩く 1 ヴァルター・ベンヤミンがフランスからスペインへ非合法的に国境を越えたという話は、いろんな本に出てくる。ピレネー山脈を越えるその道とは、どんなところなのだろうか。実際にじぶんの足で歩いてみることにした。 2014.10.05ピレネー 2014/07
ポルボウ 2014/07ベンヤミンのポルボウを歩く 4——レンガ色の壁 ベンヤミンが亡くなった旧ホテル・フランシアは、レンガ色の外壁をもった、四階だての建物である。1940年9月、ポルボウへたどり着いたものの入国を拒否されたベンヤミンは、ここに宿をとり、その夜に自死した。ファサードに、そのことを記した銘板が埋めこまれていた。 2014.09.08ポルボウ 2014/07
ポルボウ 2014/07ベンヤミンのポルボウを歩く 3——遺骸のない墓所 墓所正面の門は開け放たれていた。この墓所は、ちょっと奇妙な形式をもっていた。団地化しているのである。白い外壁でぐるりと四周を囲われている。なかは、ひな壇式になっており、棟が幾棟もならんでいる。各棟は縦横に整然と区画され、そのひとつひとつが、それぞれ墓なのだ。 2014.09.01ポルボウ 2014/07
ポルボウ 2014/07ベンヤミンのポルボウを歩く 2——風の回廊 すぐに、ポルボウの街を見下ろす場所に出た。街は三方を山に囲まれ、ビーチによって海の方向にだけ、わずかにひらけている。フランスとの国境を隔てるピレネー山脈が、最東端のここでもって地中海に没している。ベンヤミンがこの街にたどり着いた1940年、街並は廃墟のようだったという。 2014.08.31ポルボウ 2014/07
ポルボウ 2014/07ベンヤミンのポルボウを歩く 1——ポルボウへ バルセロナのサンツ駅地下ホームから、がらがらのMD (Media Distancia、中距離都市間快速) に乗って東へ二時間ちょっと。ダリの生地で知られるフィゲラスをすぎると、列車の窓から時折地中海が見えはじめた。ほとんど立木のない荒涼とした荒れ野の山の間をくねくねと縫い、トンネルをいくつか抜け、そうして最後のトンネルを抜けたとおもったら、終点ポルボウに到着した。 2014.08.29ポルボウ 2014/07
大洗 2014/06明太子を買いに──大洗から北浦・成田・安食をひとまわり 2 「めんたいパーク」は明太子のテーマパークということだった。世の中なんでもテーマパークである。まずは説明エリアへ。ほとんどパネル展示で、スケソウダラを、マダラや大西洋タラと比較していた。海中でスケソウダラは声を出すのだという。その音が流れていた。 2014.08.20大洗 2014/06
燧ヶ岳 2015/07テント泊装備で燧ヶ岳に登る 5——第2日後半 いいかげんくたびれてきたころ、沢に出た。一度とおりすぎたが、ふと思いなおして引き返した。ザックをおろして、プラティパスに水をくんでおいた。沢で水を汲むのは意外にむずかしかったが、とにかく半分ほど(1Lほど)汲んだ。これがこののち非常な助けとなった。このときの水がなければ、死んでいたかもしれない。 2014.08.14燧ヶ岳 2015/07
大洗 2014/06明太子を買いに──大洗から北浦・成田・安食をひとまわり 1 めずらしく二週つづけてW800を始動した。今回の目的地は大洗。具体的には、大洗港に漁協のやっている食堂「かあちゃんの店」でお昼ごはんを食べたあと、かねふくの「めんたいパーク」で工場を見学し、明太子を買ってくることである。 2014.08.13大洗 2014/06
香取・利根川 2014/06香取海を走る──大利根分館・佐原水生植物園・霞ヶ浦 2 水生植物園内では、なんというのか、いかにも水郷ですというイメージどおりの、赤い手拭いを頭に巻いた絣姿のおねえさんたち(元・現混在)が大量にいる。アヤメを見て、写真を撮っているひとも多数。みな年配者である。船で園内の水路を一周するアトラクションもある。ひとり500円だそうだ。 2014.07.12香取・利根川 2014/06
香取・利根川 2014/06香取海を走る──大利根分館・佐原水生植物園・霞ヶ浦 1 「香取海がもたらしたもの」という企画展を、愛機カワサキW800で見に行った。行き先は、千葉県立中央博物館大利根分館。香取市佐原にある。W800を始動したのは、ひと月以上ぶりだ。印西市の木下までひと走りして、給油。レギュラー156円。 2014.07.05香取・利根川 2014/06