観る・聞く

常磐道・R6 2015/03

全通した常磐道・R6を走る 2

福島第一原発の入口である。ここを左に折れて海へ向かってまっすぐ進むと、原発がある。森の向こうにクレーンの頭と、建屋の天井付近が見えた。遠いといえば遠く、近いといえば近い。4年前にテレビやネットで、なんともいえない気持ちのなかで見ていたものを、いまはフロントガラス越しに見ている。
常磐道・R6 2015/03

全通した常磐道・R6を走る 1

この3月(2015年)のこと、ディフェンダーで常磐道を走りに行ってきた。常磐道はその月の初めに未成区間(富岡IC─浪江IC間)が開通し、全通したばかりだった。そのときの記録をあげておこう。開通した区間は福島第一原発の事故で帰還困難区域とされている地区も通過する。
ピレネー 2014/07

ピレネーを越えて──ベンヤミン・ルートを歩く 6

トンネルを出ると、そこはもうポルボウの街だった。時刻は1610。ビーチから続くちっぽけな並木道だ。人影もほとんどない。だが、これでもいちおうポルボウでもっともにぎやかな場所である。ペットボトルの水500mlを二本買う。0.70ユーロ。公園のベンチに腰かけて、飲む。
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ピレネー 2014/07

ピレネーを越えて──ベンヤミン・ルートを歩く 5

国境の稜線からポルボウまでのルートは三本ある。ひとつは尾根沿いを海までゆくルート。ふたつめは、ツーリストインフォメーションで勧められたルートで、林道づたいに谷をまわりこむ。三番目は谷へ向かって直接降りてゆくルートである。ベンヤミンが歩いたのはこのルートだ。
ピレネー 2014/07

ピレネーを越えて──ベンヤミン・ルートを歩く 4

眼下に見える広大な風景を見やりながら歩いていると、自転車のおじさんが降りてきた。ボンジュールとぼくがいうと、向こうはしばらくこちらをながめていた。そして、いちおう人間だと認めたのか、ボンジュールと返してきた。なかなかにフランス人らしい対応である。
ピレネー 2014/07

ピレネーを越えて──ベンヤミン・ルートを歩く 3

尾根に出た。台地のようにフラットな地形である。ベンヤミンたち一行は、前日に下見に「草原」まで来ている。そして、ベンヤミンは疲労のため街へは戻らず(戻れず)、そこにとどまり、野に横臥して、一夜を過ごしたという。それはこのあたりであったのではないだろうか。
ピレネー 2014/07

ピレネーを越えて──ベンヤミン・ルートを歩く 2

ベンヤミン・ルートのいちばんの難関は、山歩きではなく鉄道よ、とツーリストインフォメーションのおばさんは冗談めかして話していた。ポルボウから国境を越えてフランスへ入り、バニュルス=シュル=メールまで、まずは鉄道で移動しなければならない。
ピレネー 2014/07

ピレネーを越えて──ベンヤミン・ルートを歩く 1

ヴァルター・ベンヤミンがフランスからスペインへ非合法的に国境を越えたという話は、いろんな本に出てくる。ピレネー山脈を越えるその道とは、どんなところなのだろうか。実際にじぶんの足で歩いてみることにした。
ポルボウ 2014/07

ベンヤミンのポルボウを歩く 4——レンガ色の壁

ベンヤミンが亡くなった旧ホテル・フランシアは、レンガ色の外壁をもった、四階だての建物である。1940年9月、ポルボウへたどり着いたものの入国を拒否されたベンヤミンは、ここに宿をとり、その夜に自死した。ファサードに、そのことを記した銘板が埋めこまれていた。
ポルボウ 2014/07

ベンヤミンのポルボウを歩く 3——遺骸のない墓所

墓所正面の門は開け放たれていた。この墓所は、ちょっと奇妙な形式をもっていた。団地化しているのである。白い外壁でぐるりと四周を囲われている。なかは、ひな壇式になっており、棟が幾棟もならんでいる。各棟は縦横に整然と区画され、そのひとつひとつが、それぞれ墓なのだ。
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