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ランタン谷トレッキング
ネパール──1997/04-05
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970424 バンコク→カトマンズ

 早朝のバンコク市内は昨日の渋滞が嘘のようにすいていた。疲労と安堵が入り混じったようなMさんは、昨日の読売新聞を持参してきていた。その1面に「ペルー日本大使館人質、武力解放」と大書してあった。
 ドンムアン空港も人影はまばらだった。カフェテリアで簡単な食事をとる。パイナップルパイとコーヒーで100B。けっこう高い。
 どこもかしこもまだ寝ぼけまなこといったバンコクの朝だったが、カトマンズ行のロイヤルネパール航空(RA)のチェックインカウンター前にはすでに行列ができ始めていた。若い男ばかり十数名のグループで、みな夜逃げか引越しのような大荷物を携えている。われわれが列に並ぼうと近づくと、そのなかのリーダー格とおもわれる一人が近寄ってきて、あまりうまくない日本語で「日本の方ですか、こちらへどーぞどーぞ」と言った。「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男のような風貌のその男は、しばらく「日本のどちらから来ましたか」「ネパールはどちらへ行きますか」「日本はいい国です」などと、ひとしきり日本語でしゃべった。どうやらネパール人の運び屋で、バンコクへ買い出しにやって来た帰りらしい。ネパール人のことを「ネパーリ」とよぶことを初めて知った。
 そのうち、ねずみ男はこんなことを言いはじめた。
 「わたしたち、荷物多い。あなたたち、すくない。飛行機、ひとり25kgまで。荷物多いと、お金かかります。わたしたちの荷物、すこしもってください」
 そら、きた。万一にも、あずかった荷物のなかに麻薬でも仕込まれていたら大事である。「申し訳ないが、できません」と断ると、ねずみ男はびっくりしたような顔をしてみせた。
 「わたしたち、親切にしました。あなたたち、荷物すくない。なぜ断る?」
 そういう問題ではない、われわれはじぶんの荷物しかもたないことにしているのだ、と説明を始めたら、相手も負けじと言い返す。気がつくと、いつのまにか2人とも下手な英語をしゃべっていた。アジアの異国人どうしがなんらかのコミュニケーションをとる必要に迫られたとき、やはり英語をしゃべらざるをえないんだなあと、この場の状況とは無関係なところで感心してしまった。
 やがて、ねずみ男はわたしを説得するのをあきらめ、べつの獲物を探しに行った。遠くからながめていると、もう常習のようである。荷物がすくなくて人のよさそうな日本人に狙いを定めている。
 昨日RAのオフィスで訊いたら0840出発という話だったが、カウンターには遅延する旨、貼り紙がしてあり、それが0940、0955、1045、1105ところころ変わる。機材はシンガポールから飛んでくるらしい。われわれはただ待ちつづけるしかない。
 Tさんたちにザックをみていてもらい、空港のなかを歩いてみた。白人のバックパッカー、スーツケースを転がしている日本人旅行者、ビジネスマン、ビルマの竪琴に出てくるようなオレンジ色の僧衣をまとったお坊さん……いろいろな人たちが入り乱れている。タイのお坊さんというのはなかなか生々しく、携帯電話で「ハロー」などと言っている。

 0900チェックイン開始。出国審査をすませ、搭乗待合室へ。1000より33番ゲートから搭乗とアナウンスがあるが、実際に機材が到着したのは1010ごろ。エアコンの効きすぎで寒いくらいの待合室で、さらに待たされる。けっきょく搭乗できたのは1045だった。1107に動きはじめる。
 バンコク→カトマンズは3時間ほどだ。機材はB757で、座席配置は3-3。進行方向右側の3人がけシートの窓際に《あ》、真ん中がわたし、通路側が先ほどの運び屋団の若い衆だった。かれは20歳で妻と子どもが2人いるのだそうだ。わたしたちがネパールの入国カードに記入するのを横からじっとのぞき込み、「日本人か?」と訊いてから、さっそく「住所を教えてくれ」と言ったので、笑ってしまった。
 しばらくすると、ねずみ男が現れた。若い衆に席を替われと言い、わたしの隣に坐った。ねずみ男は「おまえたちは荷物をもたなかった。けど、べつの日本人をつかまえたよ」と言って笑った。それから、おもむろに紙とボールペンを取り出し、こう言った。
  「“わたしたちの荷物をもってくれませんか”を、正しい日本語でなんと言えばいいんだ? 教えてくれないか」

 1430カトマンズ着。がらんとした草原のような空港だ。入国審査にはビザが必要となるが、それはオン・アライバルで取得できる。まず両替の窓口が、ついでビザ・入国のカウンターに長い行列ができる。審査をすませ一歩外へ出ると、そこには人、人、人。なんの用があってここへ来ているのか、とにかく、落としたあめ玉にむらがるアリのように、ものすごい人だかりである。そのなかから、出迎えに来てくださったRさんが現れる。
 Rさんはカトマンズでネパール語の学校にかよっている日本人女性だ。年齢はわれわれと同じくらいではないだろうか。Tさんたちが昨年ネパールへ来たときにもお世話になったのだという。今回も、カトマンズのホテルや、ランタンへ行くバスのチケットの手配をお願いしている。
 地球を5周はしているのではないかとおもわれるおんぼろの軽バンに乗り込み、カトマンズ市内へむかう。バンコクの様相にも驚かなかったといえば嘘になるが、ここはその比ではない。高層建造物は一切ない。建物はせいぜい2-3層の煉瓦造、リキシャや自転車の群れ、舗装は道の真ん中にしか敷かれておらず、路肩には人が坐り込んでいる。
 われわれの泊まるホテルは、ターメル地区のはずれにあった。このあたり、図鑑によくでてくる中世都市のイラストでみるように、通りの両側に3層くらいの建物がびっちり並んでいる。よくみると、そこにちいさな切り込みをつけたような路地があり、その一本を入っていくと、表のそれとはうって変わって広々とした気持ちのよい庭がある。そこがホテル・ムーンライトだ。われわれはツイン、Tさんたちはトリプル。トリプルはちいさいながらもベランダつきだ。
 1600表へ出かける。Rさんの案内で一軒の絨毯屋に行く。目的は絨毯ではなく両替である。Rさんによれば、ここがいちばんレートがいいという。彼女にもコミッションが入るのかもしれないが、その後いくつかあたってみたかぎりでは、彼女の言は事実であった(詳しいレートは忘れてしまった。この旅のときは、ごく簡単なメモしかとらなかった)。
 ターメルの中心にある Le Bistro Restaurant というお店で夕食をとる。城壁の一部を利用したような格好になっていて、その中庭にもしつらえられたテーブルにつく。詳しいメニューは残念ながら忘れてしまったが、西洋風と中華が合体したよう料理だった。
 そのあとRさんと別れ、ホテルのちかくのローカルな雰囲気の店へ行く。昨年Tさんたちが来た店だという。モモ(ネパールふう餃子)とロキシー(ネパールの地酒)を飲み、ホテルへ帰ったら、すでに2100をまわっていた。


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