ママチャリ利尻一周 3

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南浜湿原から島の南端をめざす

オタトマリ沼を出発して少しゆくと、南浜湿原があった。

ここはオーストラリア人チャリだーEさんお勧めの場所。誰もおらず、静かだった。天気がよければ、正面に利尻山が見えるのだろう。木道の上には動物の糞がたくさん落ちていた。

南浜湿原から道道へ戻り、島の南端へ向かって登ってゆく途中で、遠くに猫が数匹かたまっているのを見つけた。

写真を撮っていると、その先の路肩でやはり猫を眺めていたおじさんが「どこから来た、まわっとるんか」と訊く。沓形から島を一周していますと答えると、「ほおお、それでか?」とママチャリを見て言った。

そこから道はがんがんと登る。最後はもう押して歩くほかない。

とぼとぼとママチャリを引いてゆくと、利尻富士町から利尻町に入った。

南端のアザラシ

直進するバイパスを避けて、海岸沿いを行く旧道へ分岐した。静かで淋しい漁師町をゆく。南端の灯台があった。前は白い砂利が一面に敷いてある。昆布の干し場である。

さらにゆくと御崎公園があった。灯台があり、駐車場があって、その下に道が続いている。

ママチャリを停めてくだってゆくと土産物屋が二軒あった。そしてその先に、岩礁を少し加工してつくった、かなり適当な感じの四角い自然プールがあった。そこにアザラシ一頭いた。飼われているらしい。観光客が、お椀に魚の切り身を入れたものを手にしており、そこから箸で切り身をつまんで、アザラシにやる、という趣向である。

しかし、南風とて波もそこそこ荒く、もっと烈しい波のときには逃げたりしないのだろうか。あとでキャンプ場の管理人さんに聞いたところによれば、じっさい逃げてしまうこともあるらしい。しかもあのアザラシは、夏のあいだだけ稚内の水族館から役場が借りてくるのだという。観光バスのガイドさんは「利尻のリーちゃん」などと呼んでいたが、まあ世を忍ぶ仮の名前みたいなもの、ということだ。

ここは島内有数の観光スポットになっており、巨大な観光バスがつぎつぎとやってくる。観光資源としてアザラシが必要ということなのだろう。

麗峰湧水をいただく

南端の街は、仙法志という不思議な地名である。ここをまわって西海岸に入ると風は追い風となり、漕いでも漕いでも進まないという感じではなくなる。ありがたいのだが、この時間になるとこちらもだいぶくたびれているので、けっきょく速度自体はたいして上がらないのだった。

「麗峰湧水」と名づけられた湧き水のところに出た。古いシビックシャトルで来たおじいさんが、大きな空き瓶を山ほどハッチバックから降ろし、水を汲んでいた。こんにちはと挨拶をすると、「おお、どこから来た?」といい、あとはこの湧き水の自慢を始めた。

利尻山の地層を三十年かけて濾過されて出てくる湧き水だ、ほかの沢の水や水道水などとは比べものにならん。わしはすぐそこに住んでいて、いつもこの水を汲む。これで米を炊くんだ。ほかの水で炊くとすぐわかる。これでなくちゃいかんのだ。

ぼくが、空いたウィルキンソンのペットボトルに水を詰めて帰ろうとすると、「そんだけか!」とおどろいたような顔をした。「それじゃダメだ、これも持ってけ」と醤油の空き瓶に水を汲んで渡してくれた。「これでママ(米)炊け」といって。おじいさん、ありがとうございました。

おじいさんにもらった醤油のペットボトルもママチャリの前かごに押しこむ。わらしべ長者になったみたいな気がしたが、よく考えたら、ぜんぜん違うのだった。

西海岸でいろいろ見つける

西海岸に沿って道道を走る。ある上り坂で自転車を押して歩いていたら、Edyのカードが落ちているのを発見した。まだ雨に濡れてもいないようだったので、落として間もないのだろう。交番に届けようと拾った。前にnanacoカードで不正利用にあったことがあるので、なんとなく無視できないような気がした。

サッシで囲われた畑があった。とくに冬季の風雪よけなのだろうが、屋根はないため奇妙に見える。写真を撮りそこねたのだが、鴛泊のある庭では、立派な日本庭園がサッシに囲まれていた。

北のいつくしま神社なるものがあった。岩の上に赤い祠がのっかっており、手前に鳥居が立っている。あいだを橋がつないでいるが、危険なので立ち入り禁止になっていた。とくにいわれがあるというものではなく、完全に昭和の発想で捏造した名所、であるようだった。

すぐ近くに「寝熊の岩」などと名前のつけられた岩もあった。だが、この島は岩だらけなので、ほとんど誰も気に留めていないだろう。岩なら、せめて礼文島の桃岩とか地蔵岩くらいの奇怪さでなければ、人は見に来まい。

またも沓形キャンプ場へ帰還

沓形の街が見えてきた。かわいらしい赤白の灯台も見える。1635キャンプ場に帰着。出発が0830だったから、ほぼ8時間かかったことになる。

休憩舎ではHくんがひとりでウイスキーを飲んでいた。時化で昆布干しのバイトがお休みになったそうだ。管理人さんが集金に現れた。昨日は今月でいちばんの好天で山は最高だったでしょ、今日は? と訊かれたので、ママチャリ島一周の話をしたら大笑いしていた。この自転車も甲斐があったというようなことを言う。拾ったEdyカードは管理人さんをとおして、しかるべき筋に届けてもらうことになった。

その夜は、キャンプ場滞在者数名が休憩舎に集まり、宴会となった。料理や飲み物は持ち寄りである。ぼくはセイコマでお総菜をいくつか買ってきて、味付けジンギスカンともやしを炒め、ビールを寄附。あいにくお米はもちあわせていなかったので、おじいさんにもらった麗峰湧水は、ウイスキーのチェイサーとなった。

下の写真は、滞在者のひとりが差し入れてくださった、つぶ貝のお刺身。おいしかった。

日が暮れてから雨が降りだした。風も強くなった。

ぼくはテントを張らず、2100すぎにディフェンダーに戻ってシュラフに入った。さらにひどく荒れもようとなった。ディフェンダーの車体を雨が叩き、風が揺らした。それが一晩中つづいた。

おしまい

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