W800で紅葉の東北日本海側をひとめぐり 3

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阿賀野川に沿って

三日目の朝。0755新潟を出発した。今日も良い天気である。走りだしてすぐにコスモのセルフがあったので給油した。燃費はだいたいリッター30kmをキープしている。

阿賀野川の堤防上の道を進む。快走路だ。阿賀の山々が逆光のなかで陰をつくっている。谷のところだけ、雲が溢れるように出てきている。

R49に出た。少し肌寒い。気温11度くらい。カーブをまがって橋をわたりトンネルを抜ける。最近できたばかりのひじょうに整備された道路だ。ナビは川の向こう側にルートを引いている。そちらが旧国道で、ナビの情報の時点ではまだこの新道は完成していなかったのだろう。

その新道から逸れて、津川の街に入った。家々は軒をアーケードのようにつらねていた。雪国の古い街並みがそのまま保存されているようである。

ちいさな津川の街を抜け、山間部に入り、阿賀野川沿いの峡路を進む。R459である。ときどき峡路となる。

工事箇所もある。

素掘りのトンネルをとおり、いくつも集落を抜けてゆく。阿賀野川と磐越西線に沿って進む、なかなか良い道である。

豊実駅の街の「いさん」

豊実という駅でWを停めた。

駅前の公衆トイレの壁には、地元の小学生によるポスターが貼りだしてあった。総合学習の課題のようなものらしく、街の「いさん」だとか、街の案内だとかが描かれていた。ひじょうに好ましかった。

磐越西線の列車が一本通過した。新潟から猪苗代方面へ向かう列車である。

峠を越えて、飯豊連峰をのぞむ

川沿いを少しすすむと、県境にでた。新潟県から福島県に入る。

そこから道は川から離れ、少しずつ山道となる。山には低く雲がかかっていた。峠を登ってゆくと、山の上のほうにかかっていた雲のなかに入る。

そうしてしばらく登りつづけてゆくと、ふいにガスが晴れ、青空が顔をのぞかせた。さらに先へ進むと、すっかり晴れた。

正面に、紅葉に映えた飯豊の山々が見えた。

そばの里

そばの里と書かれた幟が、道沿いにところどころ立っていた。やがて同じような内容の記された看板があらわれだした。宮古という集落は、多くの家がそば屋をやっているらしい。早い時間帯だったが、すでに開いている店があった。予約不要とある。入ってみた。「かわまえ」という店である。ぼくが最初の客だった。

靴を脱いであがると、まず囲炉裏にとおされる。そこでメニューを見せられる。ABCと三コースしかない。いちばん安いCコースを頼む。2700円。すると、卓にとおされる。障子をあけはなってひろくとった部屋のなかには卓がならび、そこにすでに食事がならべられている。その一箇所を指定される。

精進料理のような皿がすでにいくつもセットされていた。野菜の煮物、ごま豆腐、さしみこんにゃくなど。こんにゃくはわさび醤油でいただく。ほかに、大根や胡瓜などの漬け物もおかれている。

山菜の天ぷらが運ばれてくる。塩でたべるのだそうだ。このあと続く写真2枚はいずれもピンぼけ、ご容赦ください。

やがて赤いお椀におそばが出てくる。水そばというらしい。お替わりは自由だという。

思いがけず贅沢なお昼になった。ごちそうさまでした。

裏磐梯から磐梯吾妻へ

しばらく走って、喜多方に出た。市内を横断し、裏磐梯へ向かう。さすがにここまで来るとバイクが多い。

前をゆく二台に追いついた。道の駅裏磐梯に入った。

林檎ふじを買うと、おばさんが、さっきレスキュー隊が行ったよという。レスキュー隊? その理由はまもなくわかった。

道の駅を出て檜原湖をぐるりと巻いて小野川湖畔に出た。そのあたりで渋滞があった。警備員ではなく警官が交通整理をしていたので事故だとわかった。カワサキカラー(ライムグリーン)のZ1000(?)が横転しており、その奧に車体をへこませたRV車が停車していた。Zから火が出たらしく、警官たちが消火剤らしい白い粉を撒いている最中だった。Zが転倒して滑り、対向車線を走行中のRV車に衝突した、ということであったように推測される。すでにライダーの姿はなかった。ぶじならいいのだが。そしてこれはけっして他人事ではないとおもうと、あらためて、ぞっとした。

レイクラインを快走してゆくと、荒々しい活火山の姿を見せる磐梯吾妻が近づいてきた。そのまま高度をあげて磐梯吾妻スカイラインへ向かう。

前を観光バスがのろのろと走る。いったん駐車帯にWを入れて写真をとって間合いをはかり、また出発しなおした。それでも、まもなく観光バスの大名行列に追いついてしまった。このあとは浄土平までのろのろ運転がつづいた。

浄土平の駐車場にWを停めた。100円。バイクだと、お金をだすのに手間がかかる。いちいちグローブを脱いでレッグバッグから財布をとりださねばならない。ひと苦労だ。

駐車場は十分にぎわっていた。吾妻小富士に登るひとも多数。

レストハウスの裏山からは噴煙(?)が二筋あがっていた。

スカイラインを福島側に下る。UTOPIAと車体に大書した観光バスが、どこか壊れているのではないかというくらいの煙を吐きだしながら、のろのろと下降して、行く手を阻む。

東北道で帰途につく

福島南ICから東北道に乗った。川口JCTまで約260kmだ。あとはひたすら東北道を南下した。

途中、例によってトリップ290kmすぎにリザーブランプが点灯したが、給油後の市川までの距離を計算したうえで、那須高原SAまでひっぱってから、給油した。このときトリップは320.9kmをさしていた(毎給油時にトリップをリセットしている)。給油量は11リットルほど。ちなみに、取扱説明書によれば、リザーブランプ点灯時点での残量3.1リットルとなっている。ぼくのWの実際とは、どうも微妙に計算があわない気がする。メーターや給油量に誤差を含むためなのだろうが。

那須連山の向こうに日が沈んでゆくのを眺めながら走る。館林の手前でいよいよ渋滞となった。その先、いったん解消されたものの、岩槻から先、浦和料金所まで再び渋滞。工事のため、開放されているゲートの数が半分くらいに絞られていた。夏休みと年末年始休みのあいだのこの時期に工事を済ませてしまうということなのだろうか。

浦和から先、外環への接続部も内回り(大泉方面)が大渋滞。さらに三郷南IC出口も渋滞中で、それらをくぐり抜けて帰着した。本日の走行距離511km、3日間の旅の総走行距離は1863kmだった。

おしまい