チェルノブイリを見にゆく話その4。前回その3はこちら。
手続きがすんだようだ。ふたたびミニバスに乗り込む。
ちいさな笛のようなものを渡された。迷子になったときに捜索者に居場所をしらせるためのものらしいが、よくわからない。とにかく、つねに首から提げて、からだから離さないようにということだった。
それよりも前、キエフをでるときに、もうひとつ手渡されていたものがあった。ガイガーカウンターである。
いちおうオプション扱いで別料金だが、実際には携行を義務づけられている。ただし各人ではないようで、NとRの二人組はふたりで一台が支給されていた。これも常時携行する。カラビナがついていたので、ズボンのベルトに取り付けた。ガンマ線を計測する簡易的な装置なのだが、どの程度きちんと校正されているのかは不明。数値は目安くらいに考えておいたほうがよさそうだ。
キエフからここまでの道中、車内ではチェルノブイリ事故にかんするドキュメンタリー映像が流された。運転席の背後の天井近くに液晶ディスプレイが設置されているのだ。ただ垂れ流すのではなく、見学する場所の予習的な意味あいがある。ナレーションなどはウクライナ語やロシア語ではなく、すべて英語だった。そもそも英語ツアーであるからなのかもしれないのだが。
映像は何本かあった。まずチェルノブイリの事故の経緯をまとめたものが流され、つぎには、4号炉を覆う石棺の劣化に対応するべく、その外側に設置された金属シェルターの建設記録が流された。
さて、検問所のゲートがあいた。そこを抜ける。とおもったら、すぐに停まった。またなにかのチェックがあるらしい。しばらくそのまま停車したあと、ミニバスはようやく走りだした。
立ち入り禁止区域内に入ったからといって、まわりの風景が急に変わるわけではない。見るかぎり、平原があり、森があり、道路がある。舗装状態も、これまでと同じ。一般的な日本の道路よりは悪いが、かといってひどく劣悪というほどでもない。少なくとも、穴ぼこだらけの春先のミシガンよりはマシだ。
道路はわりにちゃんと整備されているのは、車輌や人員の出入りがそれなりの規模であるためだろう。信じがたいことだが、チェルノブイリ原発は、事故後も2000年ごろまでは残りの原子炉は稼働していたそうだし、その後も、事故をおこした4号炉への対応や、その他の原子炉の廃炉作業もあるのだろう。
その5へつづく。