出発——チェルノブイリを見にゆく 3

チェルノブイリを見にゆく話その3。前回その2はこちら。

集合——チェルノブイリを見にゆく 2
チェルノブイリを見にゆく話その2。前回その1はこちら。当日、指定された集合時刻は、朝0745だった。場所は、キエフの中心部にある独立記念広場の北側にある、Kozatsky Hotel前、とのことだった。それ以上詳しい情報は......

出発する。定刻は0800だったが、おそらく30分近く遅い出発となった。そのあたりは柔軟というか適当というか、まあそういうもののようだ。

ミニバスはフォード製。日本だと大きめのワゴン車に相当するくらいのサイズで、海外ではよく見かけるタイプである。運転席を別として、乗客用の座席は4列ある。

休憩場所のガソリンスタンドで見かけたクルマ。車種不明。旧ソ連時代からのものだろうか

30分ほどで走り、市内を抜けたところで最初の休憩となった。ガソリンスタンドである。ミニバスは給油し、ぼくたちは車外へでて一服する。NもRもMもみな喫煙者のようで、文字どおり一服していた。このガソリンスタンドはSolo East社の給油ポイントらしく、同社のほかの日帰りツアーのミニバスも止まっていた。

ふたたび出発。キエフから北へ向かうにつれ、沿線の風景は農村地帯のそれに変わった。交通量もじょじょに減る。朝は曇っていた空だが、やがて雨が降りはじめた。

最初の検問所へ到着

1100ごろ、最初の検問所に到着した。雨のなか、ここでしばらく待機となった。軍隊だか警察だかがいて、(いちおう)厳重にチェックしている。書類の手続きが終わるまで、ぼくたちはかなり待たされた。

まわりは、同じようなツアーのミニバスだらけである。チェルノブイリ・ツアーと大書された装甲車がおかれていた。旅行社の宣伝用なのだろう。土産物の売店も二つあった。マグネットとかTシャツなどを買う気はおきず、プリピャチの地図を買った。

宣伝用とおもわれる装甲車。実際の除染につかわれたものではないだろうとおもう
インフォメーションセンターという名前の土産物屋。よく見ると牽引用の金具が突き出ている。トレーラーなのだろう
ぼくが買った地図2種。左は廃墟になる前のようすを記したプリピャチの地図

簡易トイレが駐車場のはずれに設置してあった。そこで用を足したあと、ふと、目の前にヒマワリ畑がひろがっているのに気がついた。

チェルノブイリ事故のあと、放射性物質の吸収を期待してヒマワリを植えているという話を聞いたことがある。福島第一原発事故のあとにも、同様の話題がネットで流れているのを目にした記憶もある。ただ、実際にどれほど効果があるかとなると、明確なデータはない、という話ではなかっただろうか。

道路脇にはヒマワリ畑がひろがっていた

予定表では、この検問所は1000に通過しているはずだった。だが、この日ぼくたちがここを通過できたのは、たぶん1130ごろだったはずだ。ここまではiPhoneの電波も通じたが、この先はアクセスなし。まあ、立ち入り禁止区域なのだから、当然だろう。

なお検問所は、このあとにも2-3箇所あった。

その4へつづく。

検問所——チェルノブイリを見にゆく 4
チェルノブイリを見にゆく話その4。前回その3はこちら。手続きがすんだようだ。ふたたびミニバスに乗り込む。笛状のものをわたされた。常時携行せよとのこと。大きさは呼び笛くらいちいさな笛のようなものを渡された。迷......
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