病院と線量計——チェルノブイリを見にゆく 8

チェルノブイリを見にゆく話その8。前回その7はこちら。

藪の中——チェルノブイリを見にゆく 7
チェルノブイリを見にゆく話その7。前回その6はこちら。プリピャチはチェルノブイリ原発から4kmしか離れていない。ほぼ隣接しているといってよい。かつては5万人近くのひとが住んでいた。いずれも原発で働くひとたちとその家族だった......

藪を漕ぎ、荒れたコンクリート造の大きな建物までやってきた。ここに入るとG氏が言う。病院なのだそうだ。建物の扉はどれも開け放たれている。建物の傷みが進行し崩壊の危険性があるため、内部に入ったひとの安全を確保する、というのが、その理由なのだそうだ。

病院の建物に入った。埃っぽいにおいがした。

かつて病院だった建物のなかに入る

新生児室があった。事故当時プリピャチの住民の平均年齢は20代半ばで、毎年1000名の赤ちゃんが産まれていたのだという。このことは、キエフに戻ってから見学したチェルノブイリ博物館の展示を見て知った。

かつて新生児室だったとおもわれる部屋

病院はプリピャチのなかでももっとも線量の高いところだという。とくに地下は。なぜなら、チェルノブイリ原発の事故直後に消火作業にあたった消防隊員たちが、被爆後に運ばれてきたところだから。

かつて手術室だったとおもわれる部屋

地下でなくても、局所的に高線量の場所がある。たとえば、消防隊員の衣服の切れ端がころがっているようなところだ。

その切れ端にG氏がガイガーカウンターを近づけてみせた。警告音が鳴りはじめた。ガンマ線の空間線量の数値はどんどん上がり、400μSv/hを越える値を示した。とんでもなく高い。その数値を見たオランダ人青年二人組はそろって「おおっ!」と叫び声をあげた。

線量計をかざすG氏。値は414.5μSv/hを示している

切れ端自体の表面汚染の度合いではなく、その周辺の空間線量としてそのくらいの値、ということなのだろう。ただ、線量計のこうした使い方にどのくらいの妥当性があるのかは、ぼくにはよくわからない。先述したように、ガイガーカウンター自体の校正の信頼性についても、必ずしも確からしくはない。

そもそも、周辺線量と個人線量は異なる概念であり、測定装置も異なるらしい。支給された線量計は、おそらくは個人の被曝線量を管理する目的で携帯が義務づけられているものだろうから、後者の個人線量計だろうとおもわれる。だとすれば、それは空間線量の測定を目的とするものではあるまい。したがって、上に記した数値も、簡易的ないしは参考値的なものにすぎず、さほど(あるいはまったく)意味がないのかもしれない。

ただ、先ほどオランダ人青年二人組が示した反応がそうであるように、参加者は、高い数値がでることをどこか期待しているようなところがある。そのようなヤバさギリギリのところをかすめるように経験することに、このツアーのアトラクション性がある。

さて、使い方の妥当性はともかく、それでもぼくは、携行するガイガーカウンターのディスプレイに、たびたび空間線量を表示させてみた。確認したかぎりでは、プリピャチ地区では、0.15μSv/h前後を示すことが多かった。それに比べれば、病院での600-700という数値が桁違いに高いのは明らかだ。どのくらい学術的意味があるかどうかはともかく、ツアーのデモンストレーションになっているのも肯けよう。チェルノブイリ地区にいるあいだはおおむね0.1-0.2、場所によっては2や3といった高い値を示した。キエフ市内では0.01ほどだった。

G氏によれば、時間の限られる日帰りツアーではあまり踏み込んだところまでは見せない。たとえばそのために、わざとガイガーカウンターを例の布きれのところへつけてみせて高線量であることを示し、だから中へ入らないほうがいいというふうにツアー客を説得するのだという。客としては、危険なのは困るがある程度は冒険したいという欲望があるだろう。その気持ちをくすぐりつつ適当にあしらう術であるようだった。

そのとき、窓の外から日帰りツアー客の集団が近づいてくる気配がした。G氏の合図で、ぼくたちは声をださず、急いで室内の壁の陰に隠れた。にもかかわらず、マイペースなオレゴン娘Mは窓際へのこのこ出てゆきかけ、あわてたG氏に襟首をつかまれて引き戻された。

その9へつづく。

屋上——チェルノブイリを見にゆく 9
チェルノブイリを見にゆく話その9。前回その8はこちら。かつての共同住宅に入った。日本ふうにいえば、マンションというより、高度成長期の団地のような建物だ。モダンだが、簡素。エレベーターはない。階段を登ってゆく。共同住......
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