チェルノブイリを見に行く話その16。前回その15はこちら。
気持ちのよい青空の下、G氏の運転するミニバスがホテルを出発した。走りだしてすぐ右手にジェネラル・ストアがあった。ここだけは観光客でもガイドと一緒なら立ち寄り可能だという。だがこのときは、誰も買い物の必要がなかったので素通りした。
G氏が、今日の予定を説明した。「昨日は雨だったのでプリピャチを中心にまわったが、今日は午前にドガへゆく。午後は、もとの住民で、制限区域内に自主的に帰還して住んでいるひとを訪問するオプションもあるがどうする?」
そしてG氏はこう付け加えた。「ただし、もし行くなら手ぶらというわけにはいかないので、200UAH相当の現金かお土産をもってゆく必要があるが」
ぼくはフリヴニャ(ウクライナの通貨)を少し余分にもっていたので、それでもかまわないと答えた。Nも同じ意見だった。あとの二人はプリピャチへもう一度行きたいという。その意見にしたがうことになった。
車中でドガの説明ビデオを見た。
ドガのことを、ぼくは知らなかった。原発から少し南へ降りたところにある、旧ソ連軍の施設である。アメリカが発射するかもしれない大陸間弾道ミサイルにたいする早期警戒システムの一環として設置されたレーダーということだった。いまは放置・廃棄され、ウクライナ軍が管理しているらしい。
ミニバスは森のなかの林道みたいな道をゴトゴトと走ってゆく。G氏によれば、まわりの森は汚染されている区域とそれほどでもないところとが斑状になっているが、いずれにせよ農業や林業はできないという。
下草が少なく、明るい森である。見ていると、ところどころひとの手が入って間伐された箇所があった。
汚染された森は立ち枯れしたため、一度伐採されたということだった。いまぼくたちが見ている森が、そのあと植林したものなのか、自然に回復した結果なのかはわからない。もちろん人家はひとつもない。
ゆっくりと、わりに長い時間走ったあと、ミニバスはふいに停車した。旧ソ連の星のマークをあしらったフェンスがあった。
その17へつづく。