夜から朝へ——チェルノブイリを見にゆく 15

チェルノブイリを見に行く話その15。前回その14はこちら。

村のホテルへ——チェルノブイリを見にゆく 14
チェルノブイリを見にゆく話その14。前回その13から少々間があいたが、ぼちぼち再開する。犬が去ってゆくのを見送った。雨は降ったりやんだり。急に晴れ間がでることもある。そうこうしているうちに1800をすぎた。日暮れは2130......

ぼくたちのほかに2グループが同宿していた。片方のグループは全員迷彩服を着ていた。軍人というわけではなく、そういう恰好をするグループが観光に来ているらしかった。理由はわからない。もうひとつのグループはオランダ人の一行だった。そのことがわかると、NとRはよろこんで話をはじめた。

チェルノブイリ村のホテルのレストラン。翌朝撮影

オランダにも地域によるさまざまな違いがあり、その地域ネタが冗談の種でもあるらしい。あんなに狭い国土で、なおかつ山どころか丘もほとんどもない平地ばかりの土地で、そんなに地域ごとの違いが存在するのは奇妙にもおもわれた。だが、考えてみたら日本だって似たようなものかもしれない。『翔んで埼玉』みたいなものだ。すっかり酔っぱらったオランダのみなさんは大騒ぎしていた。ぼくは、英語とオランダ語がちゃんぽんの会話についてゆけず、ほとんど理解できなかった。

2200にはお開きとなった。消灯時刻だそうだ。みな部屋に戻る。オランダ組はツイン1部屋、Mとぼくはそれぞれにツインの部屋をあてがわれた。

客室前の廊下。まんなかに柱が立っていた。左手と奥に客室のドアが見える。手前の開いているドアはトイレ・バス用。二階にも客室があるらしい。壁は薄く、床は歩くとたわむほど。仮設小屋のように簡素な建物だった

トイレは廊下をはさんだ反対側にあって共用。トイレにいったらシャワーブース付きだった。ユニットバスで、廊下からかさ上げしてあった。配管の都合だろう。全体に南極観測隊の基地のような造りの建物だった。

急いでシャワーをあびた。シャンプーや石鹸の備え付けはなかった。手持ちのものをつかう。シャワーはありがたかった。昼間、天気があまりよくなかったせいもあったのか、湿度が高く、汗だくだった。

客室も簡素で、設備や備品は最小限。空調はなし
ホテルの客室内で線量計が示した値はこのくらい。どのくらいあてになる数値なのかは不明。それでも、チェルノブイリ村の汚染度は相対的に低いという話は事実らしいとおもわれた

部屋には窓がひとつあった。ガラス窓が少し開けられており、そこから夜の冷気が入ってきた。空調設備はなかったが、冷気のおかげで、まずまず暑さを感じることなく、一晩をすごした。

翌朝は良い天気だった。部屋の窓から外をながめる。右に停まっているパンダ模様のクルマが味わい深い。車種はぼくには判別できない。旧東欧製だろうか?

翌朝は気持ちよく晴れあがった。0800食堂へゆく。オランダ組はすでにたべはじめていた。コーヒーは別途注文というので、カウンターでエスプレッソのダブルを注文する。テーブルに戻ると、昨晩は別テーブルだったG氏がいた。ぼくのエスプレッソを見て「いくらだった?」と訊く。60UAHだと答えると、コーヒー1杯だけは料金に込みなんだといって、カウンターへ話にゆき、30UAHをバックしてくれた。けっきょくそのあとコーヒーをもう一杯のんだので、その30UAHはつかってしまった。

目玉焼きが3枚。朝からボリューム満点。ウクライナではこれがふつうのようだが、ぼくにはきつかった

朝食の白いプレートには目玉焼きが三つのっていた。オランダ組はそれをパンに載せてたべている。口々に「からだが大きいのでたくさんたべないと」とか「いつも腹がへっているんだ」という。かれらの荷物はとても少ないのに、大きなビニール袋にパンを入れてもちあるき、暇があるとたべている。

道路に面した側面に、ホテルの看板がかかっていた。あいにくぼくには判読不能

「出発は0845!」とG氏がいった。部屋に戻り、荷物をまとめる。どのみちランチにはまたここへ戻ってくることになる。

その16へつづく。

森を抜ける道——チェルノブイリを見にゆく 16
チェルノブイリを見に行く話その16。前回その15はこちら。気持ちのよい青空の下、G氏の運転するミニバスがホテルを出発した。走りだしてすぐ右手にジェネラル・ストアがあった。ここだけは観光客でもガイドと一緒なら立ち寄り可能だと......
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