制御室とアメリカ——チェルノブイリを見にゆく 18

チェルノブイリを見にゆく話その18。前回その17はこちら。

錆びついた巨大アンテナ——チェルノブイリを見にゆく 17
チェルノブイリを見に行く話その17。前回その16はこちら。よく晴れたツアー2日目の朝、G氏の運転するミニバスでドガへやってきた。ドガは旧ソ連軍の施設。アメリカが発射するかもしれない大陸間弾道ミサイルにたいする早期警......
レーダーの奥から裏手へまわりこむ。

ドガの見学に来た二日目の朝。ドガは旧ソ連軍の大陸間弾道ミサイル早期警戒システムの一環として設置されたレーダー。いまは放置・廃棄され、錆びついた鉄パイプの超巨大なオブジェと化している。

旧コントロールルームらしき建物の入口。

レーダーの奥にコンクリート造の廃屋があった。G氏につれられて内部へ入る。

内部はウナギの寝床状に細長い。

なにもないガランとした空間だった。この超巨大レーダーを管制するコントロールルームだったのだそうだ。いまは撤去されているが、かつてはコンピューターやら管制装置やらが所狭しと設置されていたのだろう。真空管時代だから、どの装置もむやみやたらにでっかく、相当に熱をもったはずだ。それらを収容するために、この建物も相応に大きく、レーダーの背後に隠れるようにして細長く伸びている。

床にはケーブル類の配線用とおもわれるピットが掘られていた。ところどころに、錆びついた電子機器の残骸がころがっていた。中は暗い。うっかりすると足を踏み抜きそう。注意が必要だ。

地下に降りるハシゴ。
こちらは、続きとなっている別棟。やはり床にピットが掘られていた。

G氏がいくつかの部屋を見せてくれた。どの部屋にも当時のプロパガンダの標語などが貼られていた。

壁画らしい。「ミサイル時代の近未来」でも描いたものだろうか。
これも壁画。
講堂のような大部屋。かつては管制室だったとおもわれる。正面には巨大なモニターがはめられていたのだろう。床は階段状で、そこにセクションごとにデスクと管制官が居並ぶスタイルだったようだ。
同上、不明の装置のガラクタ。
床一面にケーブル類が散乱した部屋。

壁にポスターが貼ってあった。ぼくには判読できなかったが、そこにはアメリカの地名のいくつかが記されていた。G氏はその地名を読みあげてから、ぼくたちのほうをふりかえった。「なんだかわかるか?」

「さああ……」NとRとぼくが頭をひねる。すると横からMがつぶやいた。

「ミサイル基地?」

「そのとおり」。G氏が答えた。記されていたのは、ソ連を狙うアメリカ軍の大陸間弾道ミサイルの部隊編成表と基地の所在地だった。おそらく新兵教育用の部屋だったのだろう。

アメリカの軍用機らしき写真などが貼られていた。
上と同じ部屋の別の壁面。

NやRが「アメリカの学校ではそういうことを教わるのか?」とMに訊いた。「そういうわけじゃないのだけど」とMが言う。とくに教わったわけでなくても、アメリカ人ならたいてい知っている事柄であるということらしかった。

その19へつづく。

松の幼木——チェルノブイリを見にゆく 19
チェルノブイリを見にゆく話その19。前回その18はこちら。旧ソ連軍の大陸間弾道ミサイル早期警戒システムの廃墟ドガ。レーダーは当時のまま、いまもそこにあったが、錆びついてうち捨てられていた。ひとが住まなくなった団地に......
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