石垣島の最北端・平久保崎をめざして東海岸づたいに歩く旅その7。前回は、指をケガした岩場をすぎた砂浜で、放牧牛の集団に出会った話だった。
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安良崎までの衛星写真
牛たちと別れたあと、砂浜をさらに北上してゆく。今回は安良崎まで。先に地図をあげておきたい。グーグルマップの衛星写真である。本筋からは逸れるが、先日みたときの衛星写真とくらべて、なぜか急に色褪せたようなものに変わっていた。
ふたたび砂浜の漂着物
海岸は砂浜がつづいている。このあたりも漂着物だらけだ。こんな巨木があったかとおもえば……
冷蔵庫みたいなものまで打ち上げられていた。
大きな貝殻もあった。何貝というのだろう?
どう見ても、動物の骨のように見えるものもあった。海はいろんなものを運んでくる。
津波石
砂浜のまんなかに、ドカーンと巨大な石がそびえていた。
このときは、ふしぎなところに岩があるものだとしかおもわなかった。あとで調べてみると、津波石というのだそうだ。津波によって運ばれてきた巨石で、平久保半島の東海岸には多いという。たしかに、こんな巨岩をこのあといくつも見かけることになる。
安良岳麓と旧 安良村跡
左手に見える高い山が安良岳だ。標高336m。数字だけ見ればささやかなものだが、平久保半島の主峰のひとつである。
砂浜の左手に踏み跡があったので、登ってみた。台地上の草原がひろがっていた。草原はそのままなだらかに登っていき、安良岳の麓へとつながっていた。
かつてこのあたりに安良村という集落があった。一時は500人も住んでいたという。明和の大津波(1771年)で壊滅し、その後再興したものの、じょじょに衰退し、1912年(明治45年)に廃村となったのだそうだ。いまでも井戸や御嶽、住宅の跡が残されているという。
このときは、このあたりの台地に村があったのかなと考えてみたのだが、あとで調べると、もう少し先、安良崎の北側の段丘上にあったようである。(たとえば、下の記事のなかにある古い地図。)
しかし、そんな歴史が事実だったかとはにわかに信じがたいほど、いまの安良崎はひとの匂いが希薄だった。
段丘上から海をながめる
台地状になった段丘上から、いま来た明石の方角をながめる。トムル岳が見える。明石はだいぶ遠くなった。
正面をながめる。海はおだやか。ほとんど無風だ。
これからすすむ先をながめる。こんもり樹木が茂るあたりが安良崎だ。
有刺鉄線の安良崎
台地から砂浜に降りて北へ少しすすむと、その安良崎へ到達した。このあたりはまた岩場である。たださっき指をケガした岩場が隆起珊瑚だったのにたいして、ここの岩は緑色がかった火山性の岩石だった。トムル層が露出したものだという。
その岩場は、岬からさらに延びて海へ没していた。そこに沿って、有刺鉄線の柵がこしらえられていた。
ここに有刺鉄線があることは、昨夜と今朝、宿のおじさんから聞いて知っていた。放牧牛がここから北側へゆくのを防ぐためのものだとおもわれる。
有刺鉄線の一部が少し押し広げられており、人間は問題なく通過できた。通過したあと、ふりかえって撮影したのが、上の写真だ。
その8へつづく。