ピレネー 2014/07

ピレネーを越えて──ベンヤミン・ルートを歩く 5

国境の稜線からポルボウまでのルートは三本ある。ひとつは尾根沿いを海までゆくルート。ふたつめは、ツーリストインフォメーションで勧められたルートで、林道づたいに谷をまわりこむ。三番目は谷へ向かって直接降りてゆくルートである。ベンヤミンが歩いたのはこのルートだ。
ピレネー 2014/07

ピレネーを越えて──ベンヤミン・ルートを歩く 4

眼下に見える広大な風景を見やりながら歩いていると、自転車のおじさんが降りてきた。ボンジュールとぼくがいうと、向こうはしばらくこちらをながめていた。そして、いちおう人間だと認めたのか、ボンジュールと返してきた。なかなかにフランス人らしい対応である。
ピレネー 2014/07

ピレネーを越えて──ベンヤミン・ルートを歩く 3

尾根に出た。台地のようにフラットな地形である。ベンヤミンたち一行は、前日に下見に「草原」まで来ている。そして、ベンヤミンは疲労のため街へは戻らず(戻れず)、そこにとどまり、野に横臥して、一夜を過ごしたという。それはこのあたりであったのではないだろうか。
ピレネー 2014/07

ピレネーを越えて──ベンヤミン・ルートを歩く 2

ベンヤミン・ルートのいちばんの難関は、山歩きではなく鉄道よ、とツーリストインフォメーションのおばさんは冗談めかして話していた。ポルボウから国境を越えてフランスへ入り、バニュルス=シュル=メールまで、まずは鉄道で移動しなければならない。
ピレネー 2014/07

ピレネーを越えて──ベンヤミン・ルートを歩く 1

ヴァルター・ベンヤミンがフランスからスペインへ非合法的に国境を越えたという話は、いろんな本に出てくる。ピレネー山脈を越えるその道とは、どんなところなのだろうか。実際にじぶんの足で歩いてみることにした。
ポルボウ 2014/07

ベンヤミンのポルボウを歩く 4——レンガ色の壁

ベンヤミンが亡くなった旧ホテル・フランシアは、レンガ色の外壁をもった、四階だての建物である。1940年9月、ポルボウへたどり着いたものの入国を拒否されたベンヤミンは、ここに宿をとり、その夜に自死した。ファサードに、そのことを記した銘板が埋めこまれていた。
ポルボウ 2014/07

ベンヤミンのポルボウを歩く 3——遺骸のない墓所

墓所正面の門は開け放たれていた。この墓所は、ちょっと奇妙な形式をもっていた。団地化しているのである。白い外壁でぐるりと四周を囲われている。なかは、ひな壇式になっており、棟が幾棟もならんでいる。各棟は縦横に整然と区画され、そのひとつひとつが、それぞれ墓なのだ。
ポルボウ 2014/07

ベンヤミンのポルボウを歩く 2——風の回廊

すぐに、ポルボウの街を見下ろす場所に出た。街は三方を山に囲まれ、ビーチによって海の方向にだけ、わずかにひらけている。フランスとの国境を隔てるピレネー山脈が、最東端のここでもって地中海に没している。ベンヤミンがこの街にたどり着いた1940年、街並は廃墟のようだったという。
ポルボウ 2014/07

ベンヤミンのポルボウを歩く 1——ポルボウへ

バルセロナのサンツ駅地下ホームから、がらがらのMD (Media Distancia、中距離都市間快速) に乗って東へ二時間ちょっと。ダリの生地で知られるフィゲラスをすぎると、列車の窓から時折地中海が見えはじめた。ほとんど立木のない荒涼とした荒れ野の山の間をくねくねと縫い、トンネルをいくつか抜け、そうして最後のトンネルを抜けたとおもったら、終点ポルボウに到着した。
大洗 2014/06

明太子を買いに──大洗から北浦・成田・安食をひとまわり 2

「めんたいパーク」は明太子のテーマパークということだった。世の中なんでもテーマパークである。まずは説明エリアへ。ほとんどパネル展示で、スケソウダラを、マダラや大西洋タラと比較していた。海中でスケソウダラは声を出すのだという。その音が流れていた。
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