世界でもっとも過酷な道のひとつ、ダルトン・ハイウェイを走破する旅その11。フェアバンクスから約200マイル走り、とうとう北極圏到達の記念碑までやってきた。ここから先は、いよいよ北極圏を走ることになる。
ひろさの補給
北極圏到達の記念碑を出発したあと、しばらくは舗装路がつづく。フラットな地形のため、視界がワイドにひらけている。こういうひろびろとした風景を見るのは、ぼくの好むところである。ひろさは、ときどき補給しなければならない。
その先は、またダートとなった。一部の区間だけ路面が濡れていた。雨がふると、路面の性質にもよるが、たいていはぬかるみになって滑りやすくなる。
ユーコンXLの四駆システム
ユーコンXLの四駆システムはフルタイムではなく、二駆、四駆、自動の3種類のモードから切り替えられるようになっている。ユーコンXLのように無駄にでっかくて重たい車をフルタイム四駆にするのは燃費の上からも車重の観点からも実用上もまったく得策ではないだろう。
乾燥路面では二駆で問題なく走行できていた。だが、濡れた路面に突入するとやはり滑る。それで自動モードに切り替えてみた。すべり具合を判断してトラクションをつねに確保できるよう二駆と四駆を自動で切り替えてくれるという仕組みだ。
切り替えの状況は、情報パネルでリアルタイムでモニターすることができる。ちらちらと確認する。だいたい四駆で走行するみたいだった。四駆走行になればクルマは安定するが、引き換えに、燃費の面では不利である。どっちをとるかという問題だ。
白い車体は泥まみれ
しばらく走るとまた乾燥路面に変わった。おそらくは先ほどの区間だけ一時的に雨が降ったのだろうとおもわれる。
路面も舗装に変わったが、その前の濡れたダート走行で、ユーコンXLの背面は一面に泥をあびてコーティングされたようになった。
後方視界を確保しておきたいので、リアのウォッシャー液を何度も流してワイパーを動かした。何度もワイパーを往復させて、ようやく泥をぬぐうことに成功したが、それもワイパーのとどく扇形の範囲だけだ。
バック時につかうリアモニターも、カメラが泥をかぶっているため、役に立たないだろう。
1974年のダルトン・ハイウェイ
このあたりは丘陵地で、舗装路がつづく。丘を登る。登りきったところの道路脇に駐車帯があった。
丘の上にあり、あたりの地形もフラットなので、ずいぶん遠くまで見晴らすことができた。
説明パネルが2枚設置してあった。ひとつはダルトン・ハイウェイ建設にかんするもの。こんな内容だ。
プルドーベイで石油が見つかる以前、アラスカ中部から北部にかけての地域に道路はなかった。1968年時点で、道路は、フェアバンクスのほんのちょっと北までしかなかった(この展望台より132マイル南)。1970年までに道路はユーコン川まで伸びた。そこからプルドーベイまでの358マイルは、1974年にわずか154日間の突貫工事で開通させた。石油をめぐる「20世紀のゴールドラッシュ」とよんでよいような凄まじさである。
パネルには1974年当時の写真も掲載されていた。細くて険しい道をトラックがおそるおそるすすんでいる。そのころのトラック隊はブルドーザー同伴だった、と書かれていた。
ポンプ・ステーション
もう一枚のパネルは、この展望台から見える小高いピークにつけられた名前の説明だった。それらは、先住民族の名であったり、ダルトン・ハイウェイ建設にかかわったひと(つまりは石油関係の大資本家)の名であったりするらしい。
遠くの右手に、建物が数棟たっているのが見えた。パネルには、Pump Station 5と書いてある。パイプラインの中間ポンプ場であろう。
長大なパイプラインにオイルを流すためには、ところどころで圧をかけ直してやる必要がある。そのための施設のひとつだ。
その12へつづく。