地獄の向こう側でおっぱいを吸う
十大地獄をでる。
地獄を出たところにも、あれこれとフィギュアが展示してあった。そのなかで、もっとも印象深かったのが、これだ。
若い娘のおっぱいを吸う老婆。
かたわらに放置されている赤ちゃんは、泣きじゃくっているようにも見える。ほんらいは赤ちゃんのためのお乳を老婆が横取りしている光景、ということなのだろうか? でも娘(赤ちゃんの母親か?)のほうとて、そう嫌がっているようには見えない。何なんだろ、これ?
後述するように、ハウパーヴィラを埋め尽くす膨大なフィギュアのなかには、妙になまめかしいものがいくつかあった。中世の西欧の、マリアの裸体なんかを描いた宗教画が一種のポルノとして見られていた側面もあったのではないかという話を以前どこかで読んだような気がする。それと似たようなことなのかもしれない。
穏やかだが怪しい日常
まわりにあるほかの展示を見てみる。たとえばこんなふう。角を突きあわせる野牛、だろうか? それでもこれは、まだ理解できなくもない。
その隣の展示。こうなると、もうよくわからない。
コオロギが相撲をとっていて、それを動物たちがはやし立てている光景、ということなのだろうか? まわりの動物も、ゾウがいたり、クマがいたり。どれも擬人化されているし、縮尺も現実から転倒している。つまりコオロギのほうがずっと大きく、動物たちはこびとのようなのだ。
牛が牽くプラウで田んぼをたがやすようすのジオラマもあった。農村のごく平凡で平穏な光景、ということなのかもしれない。だが、そう割り切って解釈してしまうのは、どうにも微妙な違和感が残る。
キノコ型ジオラマ・マンション
同じようなジオラマだが、こちらはキノコ型マンション方式とでもよぶでき集合ジオラマである。個々のジオラマは縮尺が小さくなり、円柱形のなかに穴が穿たれ、そこに配置されている。
お釈迦様がでてきたり、
バク?があらわれたり。
世をひがんでいるみたいな爺さんがおり、
語らう若人と、それを背後から温かく見守る?ひとびとがいる。
断片が断片のまま一所に集められている
十大地獄と異なり、ここには解説板のようなものはなかった。
キノコ型マンション方式という形態から推測するに、区画ごとに配置された各ジオラマは、もしかすると絵巻物式に相互につながっているのかもしれない。だが、実際のところどうなのかは不明である。
さまざまな断片が、断片のまま、とにかく一所に集められている、というのが率直な印象である。全体というものが曖昧で、とりとめがなく、個々の断片がどのように連関しているのかははっきりしない。
しいていうなら、先ほどまでの十大地獄とは対照的な世界(日常の平和な光景?)を描いているのかもしれなかった。だが、どのフィギュアやジオラマにも、「平穏な日常」というくくりに回収されることをどこかで拒むような、なんともいえない怪しさが漂っていた。