なぜ東海岸? —— 石垣島平久保半島東海岸を歩く 3

石垣島の最北端である平久保崎まで徒歩でゆく旅その3。明石の集落を抜け、誰もいない朝の浜にやってきた。往路はこれから、半島の東側を海岸づたいに歩いてゆく。

明石から出発 —— 石垣島平久保半島東海岸を歩く 2
石垣島の最北端である平久保崎まで徒歩でゆく旅その2。まずは出発地点である明石(あかいし)のちいさな集落を抜けて、浜へでる。浜はひろびろとしていた。シーズンオフとて、ほかにひとの姿はまったくなかった。
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そもそもなぜ東海岸?

じつは今回、石垣島に来るまで、東海岸ルートの存在はまったく知らなかった。地図で調べたかぎりでは県道を歩いてゆくほかなさそうだった。だから最初は県道を往復つもりだったのだ。

それが、なぜ一般道のない東海岸ルートを歩くことになったのか? 石垣島で泊まった宿のおじさんに教えてもらったからだ。

前夜のできごと

前夜、ぼくが明石の宿に到着したのは、1930すぎだった。バスを降りて、東京の感覚ではほとんど街灯もなく真っ暗な集落のなかを歩いて宿についたときには、すでに夕食が始まっていた。

食事は、宿主ご夫婦と一緒におしゃべりしながらいただく方式だった。明日はどうするんだ? と訊かれたので、平久保崎まで歩きますと答えた。しばらくは県道を歩く前提で話をしていたのだが、そのうちおじさんが、海岸づたいにもいけるぞ、と教えてくれた。

食堂の壁に、石垣島の観光地図が貼ってあった。それをぼくに見せながら、ご主人は説明してくれた。かれ自身、これまで何度も歩いているという。要点は以下のとおりだ。

おじさんが伝授してくれた東海岸ルートの要点

  • 海岸づたいに岬まで歩くのは問題ない。
  • ほとんどが砂浜だ。途中ところどころ岩場がある。
  • とくに安良崎のあたりの岩場は注意したほうがいいかもしれない。そこには有刺鉄線がある。ただし人間はくぐれるので、問題ないはず。
  • 明石をでると平野まで人家はない。水は必ず持参すべし。
  • 途中は牧場になっており、放牧の牛がよく海岸まで降りてくる。牛に会ったら、けっしてちょっかいをださず、遠巻きにしてやりすごせ。牛に頭突きされる事故がよく起きている。
  • 万一途中で海岸ルートを歩くのがむずかしくなったら、少し山側に入れば農道にでられるだろう。ただしそのばあい、海岸から農道まではっきりした道がついていることは稀なので、ルートは自力で探せ。
  • 時間の見当はつかないが、おおむね平野まで3時間くらいではないか。平野の集落からは1330にバスがでるので、それにまにあえば乗って帰るという手もある。
  • ほんとは、逆ルートで、平久保崎のほうから明石へ向かって歩いてくると、トムル岳や石垣島の南のほうがずっと見えてきれいなんだけどな。
  • スキー用のストックを貸してやるから、持っていけ。

以上が、おじさんからのアドバイスの要点だった。

食事のあとシャワーをあびて浴室からでてくると、おばさんがぼくをよびとめた。明日の朝、朝食は0800からだけど、15分くらい早く来なさい、うちのひとがストックを用意するといっているから、とのこと。

そうしますとぼくは答えて、2200には早々にベッドに入って寝てしまった。

朝食のグルクン

開けて翌日の朝となった。

食堂へゆくと、おじさんが先に朝ごはんをたべていた。使い込まれたストックが2本用意してあった。一本借りてゆくことにした。そのあとおじさんは、あらためてルートの要点を説明してくれた。そして仕事にでかけていった。

朝食には、グルクンの唐揚げがでてきた。グルクンは、東京でいうタカサゴのこと。沖縄の県魚である。

昨夜、宿のおばさんは、宿を出るひとには朝食にグルクンをだすことにしているといっていた。なぜぼくにもでてきたかふしぎだった。おばさんは、宿を発つひとと連泊するひととで料理を二種類つくるのが面倒だったからねえ、という。

おばさんは、お弁当までもたせてくれた。

朝の月光の下

そんなわけで、宿を出発したのが0845だった。

西の空には、まだ月が光っていた。

その月の下で、ぼくは明石のちいさな集落を抜けて、浜まで歩いていったのだ。

その4へつづく。

砂浜の白と漂着ゴミ —— 石垣島平久保半島東海岸を歩く 4
石垣島の最北端である平久保崎をめざして徒歩でゆく旅その4。明石の浜を歩く。砂浜はどこまでも白い。その白さは、珊瑚の死骸や貝殻の堆積によるものだという。そして、美しい白い浜に似つかわしくないものの姿も大量に目にした。漂着ゴミである。
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