利尻山に登る 4

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下山開始

下山を開始した。まだ時間も早いので、下山はゆっくりと歩く。ところどころで立ち止まり、写真を撮る。

下から続々と登山者が上がってくる。

「あんた、けっきょくここから登ったのか!」。登ってくる登山者のひとりから、突然話しかけられた。

最初は誰だかわからずおどろいたが、前々夜、沓形キャンプ場にいたハイエースのおじさん三人組のうちのひとりだった。「(ぼくの)車の中が空だったから、きっと暗いうちから登ったに違いないと話していたんだ」。このおじさんはまだ元気いっぱいに見えたが、かれの同行者たちは、下のほうで急登に難儀しているようだった。

沓形ルートとの分岐点あたりでは、登山道の補修工事がはじまっていた。5-6名の作業のひとたちが、もっこに石を担いで運びあげていた。重くて足場が悪く、大変そうである。補修された箇所は階段状になっていて歩きやすい。それも直接的にはかれらのおかげである。毎日下界から登山して「出勤」してくるわけでもないだろうから、どこか近くに幕営しているのだろう。おつかれさま、ありがとうございます。

九合目で合羽を脱ぎ、グローブをはずす。

長官山であらためて利尻本峰をながめる

八合目の長官山で、フリースも脱いだ。ここで、朝上から降りてきた夫婦が写真を撮っていた。往路に追い越されたのはふたりだけだから、彼らはぼくより早く出たか、前日から山に入り、避難小屋にでも泊まったのかもしれない(ただし小屋泊は禁止されているはずだが)。

利尻の本峰を近くで見られるのは長官山まで。名残惜しいので、少し長く休み、写真を撮った。

反対側を見ると、隣の礼文島がきれいに見えた。

その先は樹林帯となり、灌木の林のなかをひたすら下降。歩きにくいし、膝も痛いので、ペースはあがらない。ポールをつかって、なるべく膝に衝撃が加わらないように注意して歩く。行きもかえりもポールがなければどうなっていたものか。

今回はポールを新調してきた。ブラックダイヤモンドのトレイルショックコンパクトである。昨シーズンモデルの売れ残りを安く買えたのだ。利尻の登山者の大半はポールを持参している。高価なレキをもっているひとも多い。

途中、宮崎から来たという母娘が休憩中だった。母娘といっても、母はもう六十すぎ、娘も相応だろう。ようやくここまで登ってきたものの、早くも大儀そうだった。ぼくが、今日は十日ぶりくらいの晴れらしいですよというと、それは運に恵まれたと、とてもよろこんでいた。それにしても、この時間にまだこんなところにいて、山頂まで往復して日没前に帰りつけるものだろうか。他人事ながら、心配になる。

このとき正午のサイレンが、鴛泊の街から聞こえてきた。

鴛泊の街と港を見下ろす

さらに下降。登山道にエゾシマリスがいた。

七合目はあまり眺望がよくないのでスルーし、六合目の第一見晴台までおりてきた。

ここでまた休憩する。もう利尻の本峰は見えないが、長官山が見える。往路は暗くて、ディティールまでわからなかった。

鴛泊の街と、海、そして礼文島も見渡すことができる。

港にフェリーが入港してきた。お昼の便だ。横に坐っていた若者の男子2名が「静かだね」とつぶやく。礼文もすぐそこに見えた。

ここには2-3組の親子が休んでいた。山頂をめざすのではなく、当初からここを目的地としたハイキングらしい。

ここから先は完全に樹林帯となり、眺めはほぼなくなる。あとはもうひたすら歩くのみ。

北麓野営場へ帰着

膝が痛いこともあり、歩みはぎこちなく遅いが、登りとちがって休憩はそんなに必要ない。機械のように淡々と歩きつづける。

途中で何人かの登山者を抜いて先行させてもらう。ひとりのおばさんは、ぼくが抜かせてもらうとき、「歩きにくいわねえ」と愚痴をこぼした。しばらく歩いていたら、さっき抜いたばかりのおばさんが、突然うしろから声をかけてきた。「携帯トイレの使用済みのを捨てる場所は下のキャンプ場にあるかしら」と訊くのだ。なぜこのタイミングでぼくに質問するのかは不明。ありますよ、管理棟の向かいに大きなボックスがありますから、行けばすぐわかります、とぼくは答えた。たまたま前泊したので目にして知っていただけなのだが。

そうして延々と樹林帯を歩き、1400、北麓野営場に到着した。

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30分ほどかけて後片づけ。スパッツをはずし、登山靴を脱ぎ、下山届を管理人のおばさんに提出する。けっきょく携帯トイレは使わなかった。

駐車場を出るとき、ハイエースのおじさん三人組が手をふって「お元気で!」と声をかけてくれた。

沓形キャンプ場へ帰る

ホテル利尻に併設の利尻ふれあい温泉に入ってから、利尻島に入った日に泊まった沓形キャンプ場に戻った。

鴛泊のセイコマ(セイコーマート)で買ってきたトマトを肴に、サッポロクラッシックで祝杯をあげた。

夕方になっても、利尻山は、まだ姿を見せていた。

やがて山体を朱色に染め、それからゆっくりと闇に身を沈めていった。

おしまい

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