チェルノブイリを見にゆく話その7。前回その6はこちら。
プリピャチはチェルノブイリ原発から4kmしか離れていない。ほぼ隣接しているといってよい。かつては5万人近くのひとが住んでいた。いずれも原発で働くひとたちとその家族だった。だが事故後に全市強制避難となり、以後30年以上にわたって無人のままだ。廃墟のゴーストタウンは、いまチェルノブイリ見学ツアーの目玉となっている。ぼくたちも、ガイド兼ドライバーのG氏につれられ、このゴーストタウンを歩きまわった。
G氏は草むらにわけいってゆく。
プリピャチの市域は広い。そこに数十棟の建物が整然とならんでいる。集合住宅、病院、学校、レストラン、劇場、ジム、ホテルなど、およそ近代的な都市に必要な施設はすべてある。敷地は画然と区画されている。大通りは人車分離で、幅員は、わが郷里・名古屋の100m道路もかくや、というほど広い。
しかし、いまやそれらはすべて、なかば野生化した北のジャングルに埋もれている。初めて訪問した者にとっては、どこになにがあり、じぶんがいまどこにいるのか、さっぱり見当がつかない。
しかもこの北のジャングルは、ただのジャングルではない。全域に高レベルの放射性物質が蓄積されているため、ひとが生活できる状態ではない。安全な水準になるまでに少なくとも数百年を要するのだという。
歩こうにも藪だらけで視界は効かない。かつてここがひとの生活の場だったことを忍ばせる痕跡もあまり見られない。——とおもっていると、いきなり錆びた標識があらわれ、幼稚園の施設だったとおもわれる遊具が放置されているのに出くわした。
藪のなかから生えている灌木に赤い実がなっていた。それを歩きながらG氏がひょいともぎとる。野生のプラムだといって、囓ってみせた。NとRのオランダ人青年二人組もG氏にならってプラムをもいで囓った。「うまいよ」と、ふたりとも言う。
コンクリート造の建物の壁面が崩落していた。コンクリートは頑丈だが、手入れされないまま放置されていると劣化がすすむ。G氏によれば、隙間から雨水などが入り、冬場それが凍結・融解をくりかえすことが崩落の原因なのではないかとのことだった。
そうしてぼくたちは藪を漕いでいった。その先に、これもまた傷んだコンクリート造の建物の前に出た。病院だった。
「入ろう」。G氏は言った。
その8へつづく。