石垣島の最北端である平久保崎まで徒歩でゆく旅その2。前回は、平久保半島の地形を確認したうえで、ルートの概略を説明した。往路は東海岸を歩く。ただ、一般道がないため、海岸づたいに歩いてゆくことになる。
まずは、出発地である明石(あかいし)の集落を抜けて、浜へ出てみよう。
明石の集落を抜ける
0845、宿を出発する。宿のご主人のすすめで、ストックを一本借りた。年季の入ったスキー用だ。歩くにはやや不向きだが、ご主人はぜひ持っていくようにと強くすすめてくださったのだった。
この時期(1月)、石垣島の日の出は0730ごろ。東京と比べるとだいぶ遅い。0845になっても、日はまだ東の空の低い位置にあり、防風林の上まで顔をだしていなかった。
明石小学校を示す碑。すばらしいな、これは。
平成18年度の卒業記念と記されている。これをつくった生徒たちは、12年後のいま、どこでどうして暮らしているのだろう?
ビーチへつづく小径
集落のはずれまで来ると、ビーチへでる小径の入口があった。
なかに足を踏み入れる。まだちょっと薄暗い。下はもう砂である。
路傍にはポトスが自生していた。いかにも南国らしい。東京なら観葉植物として鉢植えになっているばかりだろうに。
暗がりの小径の向こうに、明かりが見えてきた。そうおもったら、すぐに浜にでた。
けっこう長く小径を歩いた気がしたが、実際には、おそらく2分たらずだっただろう。
明石の浜
朝の浜には誰もいなかった。石垣の海をひとり占め、といったところだ。
浜は東にひらけている。右手が南。トムル岳が見える。
上の写真では切れてしまっているが、トムル岳から海に向かってなだらかな傾斜になっており、それが海に没するあたりがトムル崎。平久保半島にはトムル層という琉球列島最古の地層が広く分布している。およそ1億7000万年前にできたのだそうだ。この地層が最初に観察されたのがトムル崎でだっため、この名がつけられたのだという。
左手は北。安良岳が見える。こちらの方角に向かって、海岸づたいに歩いてゆくのだ。
砂浜には、白化した珊瑚の死骸がたくさんあった。ハンドボールくらいの大きさのものもある。貝殻も多い。場所によってはびっしり貝殻だらけだ。
誰もいない浜で
明石の浜、明石海岸、明石ビーチ。何種類かの呼び方があるようだ。
宿のご主人は「浜」とか「海岸」とよんでいた。グーグルマップには「ビーチ」と記載されている。どちらが現地で一般的な読み方かはわからないが、個人的には現地の呼び方を尊重したいとおもう。
夏ならば、それなりに観光客でにぎわうのだろう。じっさい、明石の集落でも、おもに夏の観光客向けとおもわれる飲食店を見かけた。
だが、このときはオフシーズン。これだけ広々した空間にひとりだけで、気分がいい。それほど強くない風が海から吹く。波の音がたえまなく響く。それだけだ。
ただ同時に、ほんの少しばかり不安な気持ちもあった。なにしろこの先のルートがどうなっているのか、予備知識をほとんど持ちあわせていなかったからだった。
背反する二つの気持ちをかかえたまま、浜を北に向かって歩きはじめた。
その3へつづく。