ベンヤミンのポルボウを歩く 1——ポルボウへ

バルセロナのサンツ駅地下ホームから、がらがらのMD (Media Distancia、中距離都市間快速) に乗って東へ二時間ちょっと。ダリの生地で知られるフィゲラスをすぎると、列車の窓から時折地中海が見えはじめた。ほとんど立木のない荒涼とした荒れ野の山の間をくねくねと縫い、トンネルをいくつか抜け、そうして最後のトンネルを抜けたとおもったら、終点ポルボウに到着した。

ガラス張りの半円形の屋根が、何本かあるホームを覆うようにかけられている。

駅舎も由緒ある建築らしく、ゆったりとして、天井も高い。国境の駅だから、かつては相応の格式を具えていたのだろう。もっともいまは、その余裕をもてあましているようでもある。

駅舎から長い階段を地下に下りてトンネルを歩く。出てすぐの急な階段を下ると、もうポルボウの街だ。

駅前のちんまりした通りの両側には、ぱらぱらと数軒の商店が建ちならんでいた。シャッターの閉まったままの店も目につく。ちょっと寂れている印象だ。

少し行くと、ちいさなビーチに出た。夏のバカンスシーズンとて、その一帯だけは、そこそこ賑わっていた。

ポルボウは、スペイン地中海側の最東端のちいさな街だ。そして、ベンヤミンの亡くなった街でもある。ナチスの追及を逃れて、ヴィシー政権下のフランスからピレネー山脈の間道を越えて脱出し、スペインに非合法的に入ったものの、入国を拒否された。翌朝の送還を控えた夜、ベンヤミンは泊まった宿の一室で、致死量を超えるモルヒネを飲んだ。救命措置が施されようとするのを拒んだ末に、亡くなったという。

ビーチの一画にあるツーリスト・インフォメーションへ立ち寄ってみた。青い帽子をかぶったようなちいさな建物だった。

小柄なおばさんがひとりで店番をしていた。癖はあるものの、英語を話す。ほどなくして判ることなのだが、このおばさんくらい英語が話せればかなりエクセレントといわねばならない。もっとも、ぼくの英語にしてもかなり怪しいものなのだが。

ベンヤミンのゆかりの場所について訊ねると、おばさんは親切にいろいろと教えてくれた。

資料をひととおりもらう。「本もあるのよ」と、おばさんがいう。現代美術作家ダニ・カラヴァンによるモニュメントの製作を記録した本である。カタルーニャ語、フランス語、英語、スペイン語と版があるという。カタルーニャ語というとき、おばさんは、「つまり、わたしたちの言葉ね」と、ちょっと誇らしげに胸を張ってみせた。だが、あいにくそれではぼくが読めないので、おばさんの愛郷心には申しわけないのだが、英語版を買う。15ユーロ。

ちなみに、ポルボウは「ボ」にアクセントをおき、最後のウは宙に漂うみたいに発音する。Portbou と綴って「ポルボウ」と読むのもカタルーニャふうらしい。スペイン語(カスティーリャ語)読みならポルトボウ。

さて、下図は、当地の案内地図だ。ここに、街中にあるベンヤミンゆかりの場所が示されている。

  1. スペイン国鉄(レンフェ)ポルボウ駅
  2. 旧ホテル・フランシア
  3. 案内板
  4. シビック・センター
  5. モニュメント、墓地

これらをひとめぐりしてみる。

ちいさな街だから、ふつうなら2時間もあれば、ひと通りの見学は十分できる。ぼくは三日滞在した。

その2へつづく