本州最東端・魹ヶ崎へゆく 2

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魹ヶ崎の岬と灯台

魹ヶ崎灯台は、なんでもないごく普通の灯台だった。少し高さがあるのかもしれない。

震災の影響をどの程度うけたのかはわからないが、まるでずっと昔からここにたたずんでいるようだった。

灯台の近くには、船舶むけの気象情報送信施設もあった。

岬の東家

灯台の脇に東屋があった。きれいに維持管理されていた。

正面は太平洋だ。一年前に苫小牧行きフェリーのなかからこちらをながめたときは、模型の灯台のように見えたものだった。今日も目の前をコンテナ船が北上していき、漁船が何杯も操業していた。

「思い出ノート」と記された大学ノートがプラスチックのケースに入れられていた。

あとから来たカップルと、東屋で同居となってしまった。邪魔して悪いのだが、仕方ない。クリームパンと缶コーヒーでお昼にした。歩いてきたからか、おいしい。

本州最東端と『喜びも悲しみも幾年月』

すぐ南の岩場の上に、本州最東端の碑があった。ジャバザハットのような形をした岩に、銘板が二枚貼り付けられていた。

碑は、本州最東端のそれと、映画『喜びも悲しみも幾年月』のそれ。あちこちの灯台で、このような碑を見かける。木下恵介監督の1957年の作品だが、それほどの社会的影響力があったということかもしれない。

とはいえ、同作品に魹ヶ崎灯台は登場しなかったとおもう(その後のテレビドラマのほうは知らないのだが)。しかし、1966年までここには実際に灯台守が住んでおり、その妻だった田中きよさんという方の手記が、同作品の原作となったという。碑文にもそのことが刻まれている。

そういえば、木下監督がその後1986年に撮った『新・喜びも悲しみも幾年月』のほうは、ぼくもリアルタイムで観たのだった。

碑のある場所からは、このあたりの地形がよくわかる。海面からはかなり高くなった、テーブル状の岩場だ。ところどころ深い切れ込みがある。

その3へつづく