礼文島の岬と山を歩く 5──空港と虹の岬

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礼文岳を下山

1235に下山を開始した。すると、ちょうどニセピークのところに登山者が上がってくるのが見えた。かれとは鞍部手前の熊笹エリアで行きあった。北関東訛りのおじさんだった。利尻に三泊したが一度も山は見えなかった。利尻に登ったものの、雨に降られて何も見えず、霰まで降ってきて、寒くて仕方なかった。避難小屋まで登ったところで引き返したという。ひとり旅のひとは、よくしゃべる。このあともうひとりおじさんに会った。この日の入山者は、ぼくを含めて三人だっただろう。

どんどん下る。しかしルートがなだらかなのと、下が泥で滑りやすいのとで、往路とさほど時間に差があるようには思われず。

最後の九十九折の手前くらいで、登山道の真ん中にネズミのような小動物が死んでいるのを発見した。

往路では気がつかなかった。死んだのは、そんなに前のことではなさそうだった。大きさは、胴体の長さが親指くらいだろうか。笹の茎でもって道の脇へ移動してやった。どうしてまた道の真ん中で死んでいたりしたのだろうか。ぼくが朝ポールでうっかり突いてしまったのだろうか。

うすゆきの湯と郷土資料館

1400駐車場へ帰着。すぐに片づけ。合羽を脱ぎ、登山靴も脱ぐ。それから香深へ行き「うすゆきの湯」に入る。きょうもがらがらだった。

休憩室のテーブルの上に、昭和30年ごろの礼文島内各地の写真を現在のそれと対比した展示があった。郷土資料館へぜひ、という意味のことが記されていたの。時間もあることだし、行ってみた。温泉のすぐはす向かい。入館料300円。案の定ほかに誰もいなかった。

春夏秋冬の礼文の風景写真、自然史関係の展示、歴史にかんする展示など。力が入れられていたのは縄文時代の遺跡の発掘品。遺跡の数は島のあちこちにたくさんあるが、もっともよく知られ重要なのが船泊遺跡といい、久種湖キャンプ場の目の前にある町営アパートの位置にあったのだという。日本海を通じて交易があったらしいとのこと。土器や貝殻でつくった首飾りや食糧となった動物の骨などがたくさん展示してあった。学術性ということなら先日見た利尻町立博物館のほうがよりしっかり取り組んでいるようにおもうが、ここも総じて充実していておもしろかった。

うすゆきの湯の休憩室で見た昭和30年ごろの写真は宮本常一が撮ったものだという。

礼文空港と岬の虹

香深港近くにマリンストアがあったので入ってみた。船泊のそれとは経営している漁協がちがい、こちらは香深漁協。店舗はこちらのほうが少し広いが、内容的には船泊のほうが鮮魚やお土産品も扱っているという点で充実しているように思った。

キャンプ場へ帰る前に、船泊市街を抜けて、礼文空港へ寄ってみた。実質的にはもう十年以上使われていないのだそうだ。小さな平屋のターミナルが、がらんとしていた。

すると、空港の向こうに大きな虹が出ているのに気づいた。

空港は丘の一段下がったところにある。丘のいちばん高いところへ戻り、ディフェンダーを止めて写真を撮った。

北から、つまり正面から吹く強い風に乗って雨雲が襲来中だった。激しく降り始めた。虹は、降りだした雨のむこうで、まだしばらく光っていた。

その足で、スコトン岬に行ってみた。西の空には分厚い雲が何重にも重なって浮き、早いスピードで流れていた。雲の隙間に少し赤く染まった箇所があったが、まもなく薄れてしまった。今日は夕焼けはダメらしい。金田ノ岬はさっきの雨雲で霞んでいた。しかし、ゴロタ岬や礼文岳には雲もかからず、しっかりとそのシルエットが見えた。

夜になって、天候はいっそう荒れはじめた。雨も降ったが、ひどかったのは風だった。ものすごい北風がディフェンダーの車体を揺らしつづけた。

その6へつづく

礼文島 2014/09
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長谷川 一 明治学院大学 文学部 教授。博士(学際情報学)。専門はメディア論、メディア思想、文化社会学。散歩旅を愛好。メインブログ「散歩の思考」。

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