北極圏到達の記念碑 ―― 爆走アラスカ・ダルトン・ハイウェイ1000マイル 10

世界でもっとも過酷な道のひとつ、ダルトン・ハイウェイを走破する旅その10。ユーコン・リバー・クロスのインフォメーションセンターでこの先コールドフットまでの情報を教えてもらい、ユーコン・リバー・キャンプで給油をすませた。ユーコンを出発し、つぎは北極圏到達の記念碑をめざす。

ユーコン・リバー・クロス ―― 爆走アラスカ・ダルトン・ハイウェイ1000マイル 9
世界でもっとも過酷な道のひとつ、ダルトン・ハイウェイを走破する旅その9。ダルトン・ハイウェイの入口、看板のあった場所からダートを1時間ちょっと爆走すると、ユーコン川へ達した。木の板で床の葺かれた橋をわたった。すぐ右に折れ、パイプラインの下......
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しばらく舗装路がつづく

ユーコンを出発した。よく晴れて、車内は暑いくらいである。

このあたりはフラットダートだったが――

あいかわらずのフラットダートだが、舗装路があらわれた。意外なことに、それが地平線の向こうまで、けっこう長い区間つづく。

舗装路があらわれた。これが地平線の向こうまで、意外なほど長い区間つづく

ダルトン・ハイウェイについて書かれたネットの記事といえば、全線ダート、それも荒れていて険しく、とんでもない道だ、というような話ばかりだったが、少なくともここまでは、それほど極端な状況では、まったくなかった。これなら北海道や東北、あるいは四国あたりの林道のほうが、よっぽどハードだとおもう。

アラスカの大地に落ちる雲の影

氷河地形ゆえか、どこまでもフラットな地形の上を、緑の絨毯を敷き詰めたように灌木が生えている。雲が日にかかると、その形がそのまま緑の上に影を落とす。そこを切り裂くようにして、道が地平線までつづいている。

Finger Mountain

やがて「展望台」という案内が見えてきた。丘の上にあり、あたりはごろごろと大きな岩が積み上げられたように転がっている。その上が展望台だ。

路肩の駐車帯に停めたユーコンXL。その右手後方に見える岩、くだんの菩薩像

展望台の近くに、人差し指を突き出したような形の岩があった。ぼくの目には、菩薩像を後ろから見たように映った。あとで調べると、Finger Mountain(勝手に直訳して「指山」)という場所だった。

Finger Mountainの駐車場。奥に見える三角屋根が簡易トイレ

岩場の展望台には家族連れが登っていたので、ぼくは登らなかったが、道路脇からでもなかなかに雄大な眺めを見ることができた。簡易トイレがあったので用を足しておく。

ひろびとした大地を駆ける

しかしほんとうの眺望はその先にあることが、走り出してわかった。そこからは急な下りで、北にむかって風景がひらけていたのだ。

Finger Mountain の岩場の先は急な下り。すばらしくひらけた眺望となる

舗装路を快走すること小一時間で、やがて、北極圏到達の記念碑を示す案内板を見つけた。

北極圏到達の記念碑を示す札。ちいさいので見落としがち

北極圏到達の記念碑

看板にしたがい、ダルトン・ハイウェイからはずれて、右手に入る。すると、砂利敷きの広場にでた。北極圏 (Arctic Circle) 到達の記念碑のある場所である。ユーコンXLのメーター読みで、フェアバンクスから199.7マイル(321.4km)。

北極圏到達の記念碑。北緯66度33分の北極線がとおっている。赤い絨毯はツアーがもちこんだもの

するとそこには大型のワゴン(マイクロバスくらい)が停まっており、折しもフェアバンクスからの日帰りツアーご一行が到着して記念写真の最中だった。客の数は15-6人ほど。老若男女さまざまだがすべて白人だった。

記念碑の駐車場。ユーコンXLの後方に停まってる青いクルマが日帰りツアーのワゴン

かれらは、記念碑の前に、ガイドが持参した赤い絨毯を敷き、真ん中の白い線を北緯66度33分の北極線にあわせ、その上に立って写真を撮っていた。観光地の顔出しパネルくらいみっともない儀式である。

ツアー客のみなさん

こんなツアーでもひとり$200以上とる。それでも、けっこう人気なのだという。ぼくもいちおうは検討してみたことは前にも書いたとおりである。

自走以外の手段の検討 ―― 爆走アラスカ・ダルトン・ハイウェイ1000マイル 3
世界でもっとも過酷な道のひとつ、ダルトン・ハイウェイを走破する旅その3。一般的な大手のレンタカー会社はダルトン・ハイウェイの走行を認めていない。だからといって、ミシガンから陸走してゆくのも現実的ではない。では、どうすればいい?

だがこの光景をみたときに、確信した。まちがってうっかりツアーに参加していたのなら、きっと烈しく後悔していただろう。

かれらは順番に写真を撮っており、長いあいだ記念碑の前の場所を独占していた。ぼくが到着しても、気をつかうそぶりさえ見せない。ツアーで来るひとたちはえてして内向きになりがちである。何人であっても、同じようなふるまいをする。

もっともこちらも寝癖の髪に無精ひげにサングラスによれよれのTシャツにハーフズボンという、どこから見ても怪しいアジア人だったから、向こうも気味が悪かったのかもしれない。

記念碑の背後につくられたテラス。北極圏の自然にかんする説明パネルが設置されていた

というわけで、かれらの撮影大会のあいまを見てすばやく記念碑の写真だけ撮り(ぼくにはじぶんを写真に映し込む趣味はない)、さっさと出発した。

いずれにしても、これで北極線まで到達したことはまちがいない。ここから先は、いよいよ北極圏だ。さらに北をめざして走る。

その11へつづく。

1974年のダルトン・ハイウェイ ―― 爆走アラスカ・ダルトン・ハイウェイ1000マイル 11
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