世界でもっとも過酷な道のひとつ、ダルトン・ハイウェイを走破する旅その14。北極海のほとりのプルドーベイをめざして北極圏を走りつづける。中間地点のコールドフットで、給油と食事をすませた。このあとは終点まで無補給でゆかねばならない。
プルドーベイまでゆくことを決める
コールドフットに滞在していたのは、実際には45分ほどだった。でも気持ちの上では、ゆっくり休むことができた。
ここまでダルトン・ハイウェイ前半を走破したようすから考えて、まだ先へ行くことは可能であるようにおもわれた。
こう書くと、だいぶ突き放したような表現に聞こえるかもしれないが、事実としては、ここまで走破した経験から十分な手応えを得ていた。こうなったら、全線さいごまで自力で走破してみたい。
といっても、ここはまだ中間地点にすぎない。終点のブルドーベイまでは、これまでとほぼ同距離の246マイル(396km)を走らなければならない。
本日中に到達するのはあきらかに不可能だ。そこで、行けるところまで走ったうえで、どこかのパーキングで仮眠する作戦をとることにした。
この先をもう少しすすめば、極北アラスカを東西に横断するブルックス山脈 (Brooks Range) に差しかかり、そこをアティガン峠 (Atigun Pass) で越えなければならない。その峠越えをすませたあたりまでを、本日の夜の部の目標として定める。こんなこともあろうかと、ちゃんとシュラフ(寝袋)持参である。
コールドフットを出発
現地時刻2000、コールドフットを出発した。まだふつうに明るい。太陽はだいぶ西の空低いところまで傾いてはいるが、ここから驚異の粘りを見せ、それ以上沈むのかたくなに拒絶する。夏のアラスカ北極圏は白夜の季節だ。
またしばらく舗装路がつづく。舗装状態はよく、通行量は僅少。ときどき巨大なトラックに行きあうくらいだ。
道は山脈のあいだの谷間を詰めてゆく。谷といっても氷河の谷なので、幅広くてゆったりしている。
ワイズマン——人口14名の村
コールドフットを出発してすぐ、右手にマリオン・クリーク・キャンプ場 Marion Creek Campground の看板を見る。木造の建物が数棟たっているように見えた。
さらに数kmすすむと、左手にワイズマン Wiseman という集落があった。アラスカ州観光局のウェブサイト日本語版によると、ここは1920年代にゴールラッシュでにぎわったところだという。
同サイトには、いまでは住民わずか24名ほどと記されている。だが Wikipedia 英語版によれば、2010年の国勢調査では人口14名だという(ちなみに同調査によると、コールドフットの人口は10名である)。夏場はトレイルを歩くひと向けのログキャビンなどが営業しているようなのだが、実際の通年居住者がどれほどいるものなのだろうか。
なお上述のデータは、United States Census Bureau(合衆国国勢調査局)のサイトで確認できる。
スカクパク山 (Sukakpak Mountain)
ワイズマンをすぎてしばらくゆくと、右手に特徴的な岩山が見えてきた。スカクパク山 (Sukakpak Mountain) だ。標高4,459 ft. (1359m) である。
路肩につくられた駐車スペースにユーコンXLを駐めて、この岩山の写真を撮った。
なんとも特徴的な形をしている。はるか昔には石灰岩の海床だったものが、熱によって大理石に変成したものだという。
外観もさることながら、綴りも奇妙だ。Sukakpak なんて、あきらかに英語らしくない。ネイティヴ・アメリカンの言葉からとられたものなのだろうか。
ツンドラ帯に入る
外にたっていると、湿った風が吹く抜けてゆく。雲が多くなり、遠くの山にかかりはじめている。風は吹いてゆくのに、なぜか奇妙に静かだ。音がしない。遠近感が失われてしまったような感覚にとらわれた。
ユーコンXLへ戻り、エンジン始動。ふたたびダルトン・ハイウェイを走りはじめた。
気がつくと、あたりの風景から中高木の姿が消えていた。ツンドラ帯に入ったようだ。
ダルトン・ハイウェイへ来る前に歩いたデナリ国立公園でも、パーク内の一般車両通行止めのあたりから先は(標高があがるため)ツンドラ帯に入る(デナリの旅の話は、いずれあらためて書く)。だが、ここはデナリよりも高緯度のため、平地であってもツンドラ帯に入るのだ。
この先、ダルトン・ハイウェイは谷を詰め、いよいよブルックス山脈の深奥へと分け入ってゆく。
その15へつづく。