テント泊装備で燧ヶ岳に登る 2——第1日前半

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雷雨をやりすごす

前日の夕方、御池駐車場に到着した。そのまま車中泊。2100すぎに車外に出たら、雲の向こうに満月が浮かんでいた。

夜半から雨となり、明け方には烈しい雷雨となった。0430にアラームをかけていたが、外のようすを見て、すぐにまた寝た。

うつらうつらしているうちに、雨音がしなくなったような気がした。眼鏡をかけて外を見ると、少し明るくなってきている。雨もやんでいた。急いで、買い置きのおにぎり二つをたべて、準備する。往路、那須のセブンで買った水を、プラティパスとナルゲンボトルにわけた。

御池駐車場からスタート

0650登山口から出発した。予定していたより1-2時間も遅かった。すぐに裏燧林道との分岐で、そこを左へ折れる。ほどなく登りとなる。テント泊装備のグレゴリー・バルトロ65は、重さ15kgほど。これに水の重さがくわわる。ウエストベルトをしっかりと締め、腰からザックが生えているような感覚で背負う。肩のベルトは、引っかけているだけという感じだ。

一時間ほど登ると、最初の湿原だ。湿原のことを、このあたりでは「田代」とよぶようだ。ここで休憩しているうちに、若い男の子4-5名組に追いつかれる。みんないいガタイをしている。「キャンプ実習」という大学の授業で来ているんですという。冗談なのかとおもった。「そんな授業があるなんて、いい大学ですね」と返すと、「筑波大学です」と得意そうに答えた。

ぼくのほうが一足先に出発したが、湿原の終わりくらいでさっそく筑波学生隊に抜かれる。また樹林帯を淡々と登る。汗だくである。20分おきにナルゲンボトルで水を一口ずつ飲む。

湿原の木道歩き

また小一時間ほど歩いて、つぎの湿原へ。ここはガスで展望は利かず。湿原のなかの木道を歩いてゆくと、ベンチがあった。そこで休んでいると、体格のいい若い女の子がえらい勢いで歩いてきた。ぼくの隣のベンチに腰かけると、ロールケーキをたべはじめた。テント泊らしい装備で、山の鼻キャンプ場までいくという。逆に、「さっき男の子4-5人組を見かけませんでしたか?」と訊かれた。彼女はその付き添いであり、筑波のTAなのだという。大学の授業というのは、冗談ではなかったようだ。

ここでもぼくが少し早めに出発したものの、すぐに彼女に抜かれた。木道を黙々と歩く。それからまた山道の登りとなる。

俎嵓(まないたぐら)まで

登山道に雪が残っていた。右側に巻道があったので入ってみたが、すぐに雪渓(というほどでもないが)に戻った。仕方なくその上を歩く。ポールでしっかり固定して、三点確保に気をつけながら歩く。表面はかちんこちんに凍っていた。簡易アイゼンさえももっていなかったが、問題なく通過できた。

登山道の脇にコゴミが生えていた。ここだけまだ春先みたいである。

さらに登る。なかなかつらい。このあたりから「何合目」という看板が出はじめた。5合目あたりからしばらくはそれなりに間隔があいていたが、8合目、9合目あたりは20-30分でクリアできる近さだった。

岩場をえいやと登ると、山頂に到達した。俎嵓(まないたぐら、2,346.0m)というピークである。山頂には三角点があり、祠が三つあった。撮影して休憩しているひと多数。

ガスがかかっていたが、やがて少し晴れた。眼下に尾瀬沼が見えた。

燧ヶ岳最高点・柴安嵓(しばやすぐら)まで往復

しかし本当のピークは、片道20分ほどいったもうひとつのピークのほうだ。そこでザックをデポして空身で出かけることにした。例の筑波の学生たちのザックも置いてあった。

一度下がって鞍部をわたり、また登る。大きな屹立した岩があった。そのふもとで、筑波の学生たちとすれちがった。引率のTAのおねえさんも一緒だった。そこからひと登りすると、ピークに達した。柴安嵓(しばやすぐら、2,356m)。燧ヶ岳の最高点である。そして、これ以北の日本では(北方領土を含めたとしても)、ここより高い地点は存在しない。

しかしガスのため展望はなし。早々に引き上げる。第一のピーク(俎嵓)に戻り、お昼とする。セブンで買ったマーガリン入りの黒糖パン4個入り(フジパン)。ぜんぶ食べた。

ガスがかかっていたが、晴れてきた。尾瀬沼もすっかり見えるようになった。そして、そちらから長栄新道をとおってくるのだろう、つぎつぎ登山者が登ってくるのが見えた。

山頂ではドコモの電波が届いているようだった。御池は圏外だった。

その3へつづく

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