尾瀬沼へむかって下山をはじめる
1145下山開始。鞍部まで岩場を下る。登ってくるひとたちとすれちがう。年寄りもいれば、若い人もいる。
ふりかえると、ガスがとれて、柴安嵓の姿が見えた。
先に小さなピークが見える。ミノブチ岳だ。尾瀬沼を見下ろせそうな場所である。そこへ行くような気がしていたが、案に相違して、その手前の樹林のなかで分岐に出た。
まっすぐ行けば長栄新道で長蔵小屋のほうへ降りる。しかしぼくは右に折れて、ナデッ窪というルートを下って、尾瀬沼東端の沼尻へ降りることにした。見晴キャンプ場へいくには、見晴新道をおりるのが早いのだが、あいにく数年前の豪雨以来通行止めだという。一般的な長栄新道経由だとかなり遠回りになるため、急登ながらナデッ窪を下ることにしたのだった。
ナデッ窪の岩場に泣かされる
ナデッ窪は、ちょうど窪地になった沢沿いの道で、沼尻まで直滑降のように下ってゆく。分岐してすぐ右の窪地に雪が残っていたが、そこをすぎると、道はいきなり急激に下降してゆく。
火山性の岩石がごろごろしており、歩きにくい。岩場を降りてゆくとき、ポールで支えて足を出すのだが、着地のときに膝にショックが来て、痛い。窪地なので風もあまり吹かない。展望も利かない。日が射してきて暑い。登りのときに晴れていたらバテていたかもしれないなとおもう。
たまに視界が開けると、尾瀬沼と沼尻小屋が見え、そこに向かって山麓から木道がまっすぐに延びている。荷揚げのヘリが視界の下のほうを横切っていった。
もってきた古い(20年以上前の)地図によると、登り2時間下り1時間半となっている。しかし、とてもその時間では辿り着けそうな気がしない。ちなみに、その日地出版の尾瀬の地図の著者は、なんと白籏史郎である。日地出版は、その後ゼンリンに吸収された。登山地図の出版はやめてしまったようだ。
つぎに小屋が見えたときにはだいぶ高度をさげてきていたが、そこからが長かった。1時間半をすぎても、まだ下る。どこまでも下る。歩きにくいのと膝が痛いのとで、なかなかしんどい。登ってくるひとは皆無。ぼくもこのルートはけっして登りにはつかいたくない。
あとから来たひとに抜かれること2回、さらに、山頂直下の鞍部ですれちがった大学生くらいの男の子たちの数名のグループにも抜かれた。かれらはあのあと山頂まで登り、それから降りてきたのだ。
かれらに抜かれたあと、少し歩くと、木道に出た。ここで最後に残しておいた水を飲み干した。山頂で、プラティパスからナルゲンボトルに移しておいたぶんである。湿原のなかをまっすぐに延びた木道を黙々と歩き、沼尻小屋に達した。
沼尻小屋のジュースで生きかえる
下山中にずっと考えていた。小屋についたら、炭酸飲料を飲もうと。小屋では水でいろんな飲料を冷やしていた。トロピカーナのグレープフルーツと、ポカリスウェットを買う。一本350円。
小屋は三方の壁がとりはらわれている。すぐ東側にひろがる尾瀬沼の風景がうつくしい。荷物を運んでいるヘリが飛んでいた。
裏手にトイレがある。チップ制で100円を箱に入れる。トイレは高床式になっており、三つ個室がならび、ウォシュレットであったが、その機能はつかわれていないようだった。ここは私設のトイレだそうで、汚物はヘリで輸送して処分するのだそうだ。ちなみに、この沼尻小屋を含めて、いくつかの小屋は長蔵小屋の傘下にあるのだそうだ。
小屋の脇にあった水場で顔を洗う。塩辛い。ナルゲンボトルに水を詰める。
見晴キャンプ場
ここから見晴まで5km2時間となっているが、けっきょく1時間45分ほどで歩いた。道中、ほとんど誰とも行き交わず。大半が木道だった。
1620燧小屋で受付。テント一張り800円。
キャンプ場は燧小屋の奧の林間にあった。はじっこのほうにエアライズ2を張る。グリーンのフライが気に入っている。
まだ1700で明るい。休憩所の前のベンチに腰かけて夕食にした。
アルファ米のワカメごはん、味噌汁、鯖味噌、野菜チップス、そして燧小屋の自販機で買ったビール(一番搾り500ml600円)。食後に干しぶどうとインスタントコーヒー。
そのあと燧小屋のお風呂へつかる(500円)。温泉ではなく沸かし湯。ほかに誰もいなかった。湯船は木、床はステンレス。シャワーもあった。石鹸やシャンプーは使用できない。
キャンプ場へ戻ったら、隣のテントのおにいさんに、尾瀬ヶ原の夕景がきれいだと教わり、でかけてみた。小屋泊まりのひとたちが多数でていた。雲が多くて夕焼けは見えず。それでも、尾瀬ヶ原が広々としているようすが気持ちよかった。
テントに戻り、シュラフに入るも、暑くてダメ。シュラフカバーだけでも暑いくらい。尾瀬は標高が低いから(1400mくらいしかない)、夏はあんがい暑いのだ。
1930にはテント場はすっかり静かになった。