初積雪となった十勝をレンタカーで走る。帯広を出発したのち、十勝川河口、晩成温泉をへて、帯広空港まで戻ってきた。レンタカーを返却し、あとは復路便で帰るだけ、とおもっていたのだが……。
帯広空港ターミナル
トヨタレンタリースの女性係員が運転するバンで空港ターミナルへ戻ってきた。といってもレンタカー・ステーションはすぐ隣だから、5分もかからない。
出発便の案内ディスプレイを確認する。雪の影響を少し懸念していたが、とくに変わった情報はでていなかった。
問題なく飛んでくれそうなのかな、と、そのときはおもった。じっさい、JALのカウンターにいた職員も、こちらに向かってにこやかにお辞儀するばかりで、とくに何も言わなかった。
サクサクパイとマルセイバターサンドを買う
そこで、そのまま二階の出発ロビーへあがった。奥にあるお土産物屋コーナーのなかにある六花亭の支店に立ち寄った。買ったのは、帯広でしか入手できないというサクサクパイと、ぼくの大好物のひとつで北海道へ来たら必ず買うマルセイバターサンドである。
サクサクパイは、賞味時間3時間だと念を押された。羽田についてそのまま帰宅すれば大丈夫だろうと考えて購入した。ほどなく、見通しが甘かったことを思い知らされるのだが、それについては後述する。
「マルセイ」の由来とは?
ところで、マルセイバターサンドについては、意外な由来がある。先ほどまでいた晩成温泉と関係があるのだ。その鍵は、包装紙のデザインにある。下の写真を見てほしい。
丸印に「成」の字。そのマークが示しているとおり、「マルセイ」とは、明治期に十勝に入植して開拓事業にあたった依田勉三率いる「晩成社」が、初期に製造したバター「マルセイバタ」に由来するものだからだ。
十勝の開拓者「晩成社」
晩成温泉は大樹町晩成に立地するが、その「晩成」という地名も晩成社からとられたものである。晩成社のあった場所は、現在の晩成温泉からそれほど離れていない。ぼくは2013年の夏、その晩成社の跡地を見にいったことがある。そのときの写真を紹介したい。
場所は下の地図を参照してほしい。
晩成社の跡地は、道道から未舗装路を少し入った林のなかにあった。来訪者もあまり来ないような、静かな場所だった。ちいさな駐車場があり、サイロ跡や井戸跡、墓などとともに、ささやかな顕彰碑がたっていた。
林を奥へ歩いてゆくと、依田勉三の当時の家が復元されていた。
依田の家はじつに質素、というか、率直に表現すれば、小屋とよんだほうがふさわしいような建物であった。厳冬期には零下20℃以下にまでさがる十勝の酷寒にどのようにして耐えたのか、ぼくには想像がつかない。
依田ら晩成社がこの地に入植したのは1886(明治19)年。現地の説明板によれば、開墾は困難をきわめ、バター製造をはじめさまざまな事業を手がけたが、どれも成功しなかったという。依田はここに1915(大正4)年春まで住み、その後帯広にうつって1925(大正14)年に亡くなった。
晩成社については、関連書籍も出版されているし、たとえばつぎのサイトなどにも詳しい。
味覚が喚起する土地の記憶
いっぽうで、つぎのようなことも考えあわせてよいとおもう。
明治期の北海道開拓事業を「開拓」と、いわば発展史観的にとらえるのは内地人の視点である。元から北海道に住んでいたアイヌのひとびとから見れば、それは土地の略奪と破壊の歴史であろう。北米における白人とネイティヴ・アメリカンの関係にも似ている。
歴史的にものごとを見るとは、ある特定の視点を安易に特権化・絶対化してしまうのではなく、多面的にとらえることだ。その意味で、歴史を語り、歴史を聞くという行為には、つねに割り切れなさと居心地の悪さとが、拭いがたく染みついている。
マルセイバターサンドが晩成社の「マルセイバタ」にちなんでいるのは、名称とパッケージのデザインだけらしい。それでも、マルセイバターサンドの素朴で濃厚な味はぼくたちに、十勝をめぐる先人たちの記憶を、味覚をとおして喚起しようとはたらきかけている。
その9へつづく。